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春 ― 複雑な季節

数年前から、春が一番好きになった。これまではどの季節も、それぞれの楽しさ、美しさがあって同じように好きだった。最近は夏の終わりや秋には、生命の終わりを感じてひどく寂しい気持ちになる。そして暗く寒い冬の厳しさが緩み、小さな芽が細い枝から吹き出しているのを見たり、可愛らしい野の花が咲き出したりするのを見ると、とても嬉しくなる。命がこれから開いていくのを感じる。これは、私が歳を取ったからだろうか。

今は桜やタンポポも終わり、菜の花やリンゴの花が美しい。麦の葉もだいぶん育ってきた。もう夏の気配も感じるほどだ。そうなると、もうすでに何だか寂しくなる。このあと、庭ではいろんな花が咲き始めるのに、何だかもう後は上り詰めて下っていくだけなんだと思ってしまう。

 

この農村に引っ越してきて、自然と寄り添いながら暮らすようになったからかな。毎日、トンビやコウノトリやツバメが舞う広い空を眺め、牛や馬や羊やアルパカに挨拶しながら畑道や森の中を歩くようになったから?あ、それともホルモンの変化かも?

 

何にせよ、こんな風にのんびりと暮らせるのは、今の時代ありがたいことだろう。

屋根の上の電力

昨年の暮れ近く、アパートの屋根の上にソーラーパネルが設置された。何年も前に話が持ち上がったが、話し合いの場となる家主会議が年に一度しか開かれないこと、パネルや設置工事の人材が不足していることなど、いろいろな理由で太陽光を実際に活用できるようになるまでに長い間待つことになった。まぁ、私自身は受け身で何もしていないので文句は言えない。

この冬は30年来の霧の多い冬らしく、暗い日ばかりだった。気温はそれほど低くないのに、木の枝に張り付いた霜がなかなか溶けない日が続いた。なので、せっかくパネルが設置されても、そして標高2千メートルくらいの場所では青空が広がっていても、我が家の上空には霧が立ち込め、太陽光はほとんど届かないのだった。

そんなしぶとい霧もようやく晴れ、今は毎日晴天が続いている。それと同時に花粉症にも悩まされることになるのだけれど、それでも太陽や満天の星空が見えるのはかなり嬉しい。そして、それとともに洗濯機や食洗器などの使い方も変わった。これまで電気代が安くなる夜間に洗濯ものや食器を洗っていたが、今は天気のいい日の昼間に機器を使う。天気予報に注意して、計画しながらの家事が増える。

太陽光の利用が増えているのはいいけれど、天気のいいときに全国の各設備から一挙に電気が送られると送電網が不安定になり、ブラックアウトを引き起こす可能性がある。今は電気を送ると、それと引き換えにいくらかのお金をもらえるが、ひょっとしたら逆にお金を払わなければならなくなるかもしれない。蓄電設備は今のところ、うちのアパートにはないけれど、いずれはそれも必要になるだろう。どちらにしても、冬の太陽光の少ないときほど電気が必要になるのだし。

去年は地域熱供給のための工事も施された。おらが村でも少しずつ温暖化対策が実現されている。

クロッカスがあちこちに顔を出している

やっぱり農村

メニエール病克服のためにせっせと歩き出してから早や5年。今では青空が見えるとうずうずする。夫も新しいハイキングコース開拓に目覚め、この数年は2人でせっせと歩いている。

私たちの住まいは放牧地や畑に囲まれているので、近所を歩くのも楽しい。馬や牛や鶏のほか、アルパカ、羊、ハイランド牛なんかもいる。うちの目の前の牧草地にも羊の群れが来たことがあり、羊飼いが村のあちこちの牧草地や畑を周っているようだ。ひょっとしたら、私たちがいつも食べているBioヨーグルトのお乳を出してくれている羊たちなのかもしれない。

2~3年ほど前、小川のほとりに立つ1本の木が両側からかじられているのを見た。ビーバーの仕業のように見えるけれど、こんなところに?と不思議に思っていた。そのあとしばらくして、チューリヒに向かう電車の窓から見える小沼でもかじられている木を目撃。そのうち、かじられている木の数がどんどん増え、倒木も目立つようになった。この小沼は隣村との境にあり、自然保護区域になっている。夏は草が覆い茂ってうっそうとしているので、1~2回しか行ったことがなかった。ビーバーがいるという話も聞いたことがない。でも、これはビーバーの仕業以外に考えられないと思い、ネットでしつこく調べてみたら、やっぱりいた!のだ。何頭いるのかわからないけれど、あれだけの木が倒れているのだからきっと家族で棲んでいるのだろう。いつか行ってみよう。そう思い出してからもう半年は経つかもしれない。昨日やっと行く機会をつかみ、隣村までてくてくと歩いた。

そばで見ると迫力がある。ビーバーは太い木もがしがしと削っている。周りにはチップ状になった木の端がたくさん落ちている。夜行性なのでたぶん遭遇できないだろうとは思いつつも、ゆっくりと歩きながらときどき沼の中を覗き込む。きっと、のんびり寝ているんだろう。水面を揺らすのは水鳥だけだ。

小沼に流れ込む小川の少し上流の方には巣らしきものもあった。もう少し暖かくなったら、早朝散歩に出かけてみよう。

年の初めに

光陰矢の如し。

時が過ぎるのは、確かに何百年も前から矢のように速かったようだ。去年はなぜか特に速かった。

春から秋にかけて興味深い通訳の仕事を何件かさせていただいた。春は雪に見舞われ、夏は猛暑に、秋は雨に見舞われた。でもいつもながら、どのクライアントもとても親切で礼儀正しく、気持ちよくお仕事をさせていただいた。やっぱり人と関わるのは楽しい。普段、独りでPCを相手にしているだけだから余計そう感じる。

プライベートでも、去年は意図して普段会わない人と会うようにしたおかげで、数年ぶりの再会や、初めて二人で会ってゆっくりと話をする機会があった。大勢でワイワイするのも楽しいけれど、二人きりで話すのはやっぱりいい。お互いの人となりがよくわかる。遠くへ出かけるのも楽しい。フランス語圏に行くときはちょっとドキドキするけれど。

今年はどんな年になるのだろう。食事も仕事もきちんと噛んで飲み込むようにしたい。人とのお付き合いも同じかな。

年末は霧の中に飲み込まれる日が何日も続いた。暗い日々の中、木々に張り付いた霜がとても美しかった

霧を脱出して2000メートルくらいの山へ。霧の上はこんな晴天。眼下には霧の海が広がる

新しい秤

これはキッチンで35年間使っていた秤。いろんなものを量ってきた。ここ数年、精度がだんだん疑わしくなってきていたけれど、さして支障もなかったのでずっと使い続けてきた。

ところが、昨冬辺りからどんどん太り出してきたルーシャのダイエットを始めてから、エサの量をもう少し正確に量りたいと思い、夫と相談してやっぱり新しい秤を買おうということになった。人間が食べるものよりネコが食べるものを正確に量るため、という動機がちょっと笑えるが、かくして35年間お世話になったアナログ秤とお別れすることに。使っていたときは、もちろん特に何の感情もなかったけれど、いざおさらばと思うと何だか手放しがたい。夫は、じゃあとっといたら?と言うけれど、器もひびが入っているし、それじゃあ新しい秤を買った意味がない。

で、こっちが我が家の新しいデジタル秤。竹製でこぢんまりしている。器を載せた後に左側のボタンを押せば、ぱっとゼロにメモリを合わせられるところが嬉しい。おかげで朝一番にルーシャにエサをあげる夫もきちんと量を量るようになった。これで冬の間、やることがないからエサをねだりに来るルーシャに厳しくダイエットさせられる。

森の中は今、キノコだらけ。でも、どれも食べられる代物ではなさそう。緑が目に鮮やかな苔の絨毯から小さなキノコがにょきにょきと生えているのは何とも愛らしい。夫と一緒でなければ半時間くらい、ハイキング道の脇を行ったり来たりして、苔むした森やキノコの群れに見惚れているかもしれない。

近所の塀に絡まる蔦の葉も赤味が増してきた。日が短くなり、気温が下がっていくのはすごく寂しいけれど、秋の味覚や黄葉・紅葉は楽しみだ。もう少し晴れ間が多くなってくれると、ハイキングももっと楽しくなるのに。