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ルーシャと散歩

世にあまり知られていないようだけれど、ネコは実は人と一緒に散歩するのが好きだ。前のアパートで飼っていたモグリも私たちと一緒によく散歩に行っていた。6歳になったルーシャも散歩が大好き。用心深いので、たぶん自分だけではあまり遠くまで行かないのだろう。私たちと一緒だと10分くらい先の丘の上まで歩いたりもする。のろのろと、しかもあちこち匂いを嗅ぎながら歩くので、ルーシャと一緒だと3倍くらい時間がかかっているかもしれない。

よく1羽の鳥を見かける木

夕暮れ時、犬の散歩をする人の姿が見えなくなってから出かける。ルーシャと歩いていると、薄闇の中から1匹2匹と近所のネコが現れる。多いときは5匹くらい、行きつ戻りつ、私たちと一緒に歩く。ルーシャはたぶん、ほかのネコが一緒なのはあまり好きじゃない。でも、自分にまとわりつきさえしなければ、追い払ったりはしない。

丘に行く途中に小川があって、そこにかかっている橋でよく一休みする。その先に誰かが小さいながらも立派な畑を作っていて、そこもルーシャにとっては冒険の場所だ。イケないのは、ときどきそこをトイレ代わりに使うこと。こっちはひやひやしながら眺めているしかない。

去年までは、その先の牧草地で夕闇の中、牛が草を食んでいた。ルーシャを物珍しそうに眺める姿が印象深かった。その向かいには広々としたトウモロコシ畑があり、ルーシャはその中に入ると、まるでネコが違ったようにすごい勢いでトウモロコシ林の中を走り抜けた。それが大好きだったのに、ここは一昨年から麦畑になってしまった。またトウモロコシ畑になるまでには、まだ数年かかるのだろうか。

散歩中に、たまに犬を連れて歩く人に出会う。ネコが一緒だと言うと、ルートを変えてくれたりする人もいる。犬は猫に興味を持つけれど、ケガをするのも犬の方が多いらしい。ネコの引っ掻き攻撃は油断できないのだ。

近所にはもう1軒、ネコと一緒に散歩する家がある。数年前に引っ越してきた若いカップルが、ときどき2匹の元気なネコと一緒に、まだ明るいうちに散歩している。犬とネコと一緒に散歩していた人もいた。

夜の散歩は私たちにもよさそうだ。陽が沈んで、すっかり過ごしやすくなった野道を30分くらい歩く。まぁ、立ち止まっている時間の方が長いかもしれないけれど。西の空に残るオレンジや東の空の群青や、月や星を眺め、虫の音や小川のせせらぎを聞き、草の匂いや、たまに田舎の香水に包まれながら歩いていると、1日の疲れがにじみ出てくるのか、まぶたがだんだん重くなってくる。

古い仲間の顔から

新年早々、義母がチューリヒ市の真ん中から町外れの住宅街に引っ越した。我が家から車で新宅へ行くときに、丘の上のこじんまりとした住宅街を通り過ぎる。そのときよく、30年前に知り合ったハンサムな黒人青年のことを思い出す。と言っても、ロマンチックな出会いではなく、それぞれ結婚してスイスに住むことになり、ドイツ語習得のために通い出したドイツ語学校のクラスメートだった。10人くらいいたクラスメートの家をかわりばんこに訪れてワイワイとランチや夕食を楽しんだ。

今思えば、本当に国際色豊かでいろんな話を聞けた。黒人の彼はアフリカ出身、イラク出身の男性もいたし、オーストラリアやアメリカ出身の女性、ギリシャの女性もいた。今も付き合っているのは日本人女性1人だけになってしまったけれど、彼ら彼女らが住んでいた場所を通り過ぎるとその顔が脳裏に浮かび、「今、道端ですれ違っても、もうわからないだろうなぁ」とふと思ったりする。


黒人の彼は私に向かってこう言ったことがある。「黒人と知り合うのは初めてでしょ」。確かにその通りだった。その頃はドイツ語圏スイスで黒人を見かけることはほとんどなかった。彼は身を守るためにいつも飛び出しナイフを持っていて、一度それを見せてくれた。怖いなぁと思ったけれど、それが現実だった。アジア人女性に対する偏見もあったが、黒人に対してはもっと風当たりが強かっただろう。背が高く、がっしりしていた気がするけれど、街中でもいつも身構えていたのかもしれない。そんな彼も、今は灰色がかった、昔なら無精ひげと呼ばれていたひげを伸ばしたりしているのだろうか。

菜の花畑と新緑が美しい季節
近所のヒツジ

フランス語圏では以前から黒人が多かった。チューリヒ近辺でも今はエリトリアなどからの難民を多く見かける。おらが村にある、ある基金が経営している小さな有機青果店でも一人、エリトリア出身の若者が見習いをしていて、来週卒業試験があるという。見習いにもかかわらず、いろんなことを任されているようで、仕事もてきぱきし、これからどんどんスイス社会で活躍してくれそうだ。彼から一度、チューリヒにあるアフリカレストランを紹介してもらって友だちと行ったこともある。

聞いていいかなぁと思いながら「エリトリアに一時帰国できるの?帰りたい?」と尋ねたら、「帰っちゃいけないし、帰りたくもない」と言う。もっといろいろと話を聞きたいところだけれど、時代に即しない、バーコードもなければ自動で支払金額やおつりが表示されることもないレジにいる彼と長話はできない。

今は人種差別に関する大きな事件はあまり耳にしないが、水面下の現状を扱う記事が増えている。特にハーフや移民などの若者は今もって根強く残る差別に連携して対抗するようになっていて、当事者として社会に問題提起をし始めている。それだけ人種のるつぼの中身が濃くなっているのだろう。それはそうだ。これだけ交通が発達し、情報の伝達が発達したのだから、人の移動が密にならない方がおかしい。そうして人の交わりも密になって、50年前にはほとんど存在しなかった他国の人々が増えていく。それは今の発展の中では当たり前のことだろう。それにともなって、昔を懐かしむ排他的な人も増えている。人種差別は根も奥も深い。人は差別をしたがる生き物なのだとも思う。そんな本性に優る知恵もあるのにね。

スイスにも行者ニンニクがある。水辺や森の中によく生えている。週末歩いた森の中には一面行者ニンニクだらけの場所があった

 

記録更新の春に思う

暑い……と言っていい。午前中、陽がいっぱいに差し込む仕事部屋にいると汗をかくほど。この3月はまた記録を更新した。計測開始以来最も暖かい3月となったのだそうだ。去年の夏も記録を更新していたような気がする……。温暖化は確実に進んでいるようだ。

今年は水仙の開花もずいぶん早い

仕事で温暖化や再エネ拡大に関する文書を訳すことがあるので、私の心配度はかなり高い。が、我が家はまだ化石燃料で走る車に乗り、分譲アパートの屋根にもまだ太陽光発電設備はついていない。今やっと住民の意向を再確認しているところだ。前回の集会では賛成しない人も少なくなかった。驚いたけれど、元が取れるのかとか、ほかに出費したいものがあるとか、いろいろとそれぞれ思惑があるのだろう。

国レベルでも、再エネに関する議論がやっと盛んになってきた。南部の山岳地帯やダム湖の水上に巨大な太陽光発電設備を作るとか、新築住宅の屋根に太陽光発電設備の設置を義務付けるとか。いずれにしても、代わりに美しい風景や甍の波など、何かを断念しなくてはならなくなる。今の快適さを保ちつつ、再エネに移行するには仕方のないことだ。

この冬に懸念されたエネルギー不足で、国民は少し節電することを覚えたと思う。それを生かして、増エネより節エネに力を入れた方が私はいいと思うけれど、それぞれの思惑でこちらの方はかなり難しそうだ。ざんねん。

 

頭まで節電?

秋から心配されていた冬の電力不足は、無事に年が明けた今もまだそれほど切迫していない。秋も暖かく、冬になっても暖かい日が多いせいもあるのだろう。

それでもクリスマスのイルミネーションを控えるところが多く、おらが村も毎年幹線道路を飾るイルミネーションを自主的に取りやめたよう。いつも明々と各家庭のバルコニーを飾る電飾も、例年より少し少ないかな。まるで義務化されているとでもいうように揃って外を明るく照らすイルミネーションが嫌いな私は、かなり嬉しい。でも、例年より少ないと思っていたのは、うちの窓から見える範囲内だったようで、見えない方を歩いたらどのバルコニーもぴかぴか光っていてがっくり。あれは野生の動物たちにも迷惑だろうし、夜空の星も見えにくくなる。少しのイルミネーションなら私のクリスマス気分を盛り上げてもくれるのだろうけれど、どこもかしこもピカピカはいただけない。

12月に一度厳寒が訪れて雪が積もったきり、クリスマス前からいつも通り暖かくなり、今や20度なんていう記録的な暖かさ。これもクリスマス気分や新年気分を邪魔しているのか。今年は何となく、いつもにも増してそういう気分にならない。どちらかというともともと節電派だけれど、政府の呼びかけで頭まで節電されたのかも。昨日はチューリヒ空港の近くの山を歩きに行った。初めての場所で、歩き出してすぐに思わず声を上げた。小さな沼に映る枯れ木が魔法の鏡にでも映ったかのようにくっきり。少しの揺れもない。こんな心で1年、と言わず、ずっと過ごしたいものだ。

災い転じて福となす

ヨーロッパは節電の波に飲み込まれようとしている。ウクライナ侵攻と猛暑・寡雨の夏に端を発するエネルギー不足でこの冬は厳しくなるとの予想がされており、各国政府は対策に追われている。

スイスも例外ではなく、連日、新聞やテレビでは節電に関するニュースが絶えない。スイス政府自ら国民に節電・節水を訴え、具体的には何をすればいいのかという細かい対策も発表した。「人がいない場所の電気は消す」とか「室内の温度を下げる」とか「体を洗っている時はシャワーを止める」とか、なんだか当たり前のこともたくさん掲げられている。こんなことまで言わなければならないということは、こういうことをやっている人が多いということだろう。なんと恵まれた環境なのだろうと、逆に思う。

私は明治生まれの祖父や大正生まれの祖母と一緒に暮らしていた。比較的恵まれた環境に育ったとは思うけれど、決して贅沢はしていなかった。私のちびちびした性格もあるのだろうが、祖父母と一緒に育ったことも、あまり無駄遣いをしないようにと思う人間になったことに大きく関わっているような気がする。

今、新聞やテレビが訴えている行動は、本当は節制でもなんでもなく、ごく当たり前のことなのではないか。有限の資源を無駄に使うこと自体が誤りなのだから。

冬にセントラルヒーティングが止まるかもしれないからと、単体の暖房器具や暖炉用の薪を買ったりする人が増えているという。危機感が広がり出している。自然の脅威を見せつけられたコロナ・パンデミックが少し収まった後の今回の危機は、均衡を失った自然の歪みに人為的なものも加わって発生したものだ。いずれにしても、今後は今以上に電気が必要になる。今こそ我が身を振り返り、普通に倹約をする生活に立ち戻る絶好の機会なのではないだろうか。モノがあふれた世の中でまだモノを追い続け、大切なものを見失った私たちを立ち止まらせてくれるときではないのだろうか。