幸せとは

ときおり、ふっと泣きたくなることがある。ここ最近はあまりなかったけれど、今朝ルーシャにヨーグルトを食べさせているとき、鼻の頭にヨーグルトをつけながら無心に食べている姿を見て、なんだか涙が出そうになった。これまでは悲しみがふと込み上げて泣きたくなることばかりだったのに、今朝は幸せを感じて泣きそうになった。

以前訳した書籍に、人が幸せを感じるのは、友だちと会っているときとか家族と過ごす時間とか、言ってみればごく平凡な時間だと書かれていたけれど、本当にそうだと思う。四季の移り変わりを感じたり、雲や夜空を美しいと感じたり、野生動物に出会ってわくわくしたり。ごく平凡だけれど、平和でなくてはできないことだ。

ヨーロッパでは今、間近で起こってしまった戦争を絶え間なく報道している。でも、戦いは常にいろんな場所で行われている。この平和で整然とした環境にずっと身を置いてきた私たちには想像もつかない状況で、大勢の人々が何とか命を保っている。そんなやるせない思いや、年齢とともに変わってくる自分たちの生活環境や、確実に時間が(しかもどんどん加速して)流れていることなんかをことあるごとにつらつらと考える。そんなことが増えてきた。あとどのくらい夫やルーシャと一緒に過ごせるのか、あとどのくらいこの世で過ごせるのか。そう考えると、今のこのささやかな幸せを大事にしたいと思う。

早くから酷暑が続いたせいだろう、白いアジサイがもうピンクに染まりかけてきた

歩くスイス人

何をするでもない、夫と2人でてくてくとあちこちを歩いている間に初夏がやってきた。

5月半ばは10年ぶりくらいでジュラ地方へ一泊旅行。ルーシャは初めて1匹で夜を過ごした。同じ村に住んでいる、動物が大好きな友人に3回来てもらい、ルーシャにエサをあげてもらったり遊んでもらったりで、大助かり。次は2泊旅行もできそうだ。

古い橋の向こうに、両端からぎゅっと押し込まれたように建つ家並みが有名なサンテュルザンヌ。何度か行ったことがあったけれど、泊るのは初めて。この村を流れるドゥー川沿いのハイキングを予定していた。

雨の日が続いていた5月半ば、この日の天気予報も今一つだった。それでも旅行を決行。私は風さえなければ雨の日も好きなので、まあいいかと夫と歩き始める。お勧めのハイキングコースは4時間だったけれど、きっと雨になるし、サンテュルザンヌを出発して行けるところまで行き、また同じ道を戻ってこようということになった。

空は曇っていたけれど、雨に洗われた緑がいたるところで輝き、川沿いはまさに緑一色だった。川面も緑色に染まっている。平日で天気もいまいちとあって、歩く人はほとんどいない。お昼前に村を発ち、川とつかず離れず、林の中や草原の脇に延びるハイキング道を黙々と歩く。頭上からは鳥のさえずりが降り注ぐ。1時間もしたころだろうか、朝食抜きだったので、川のほとりにシートを広げて座り、持参したサンドイッチを頬張った。

そばの川面に小さな白いものがかたまりになって浮いている。さっきも見かけた。夫がそばに寄る。私も行ってみて驚いた。なんと、それは白い小さな花だった。水草の花なんて初めて見る。こんなものがあったのか。和名は梅花藻(ばいかも)というらしい。

少し休んでまた歩き出したが、すぐにぬかるみの道が現れた。まだ買ったばかりのハイキングシューズだったし、ずぼずぼと沈んでしまって泥だらけになりそうだったので、引き返すことに。往復約2時間歩く程度だ。まあ、よしとしよう。すると、雨もぽつぽつと降り出し、用意した折りたたみ傘を広げるほどの降りになった。これはこれで風情たっぷり。水面に広がっては消えていく小さな輪を見るのも楽しい。

ジュラ地方と言えば、青いなだらかな丘陵にモミの森が広がるイメージ。でも、この辺りは全く違う。翌日は来た道と別のルートをドライブしながら帰った。そのときに、これぞジュラ!という森林風景の中を走り、「次はこの辺りのハイキングだね」と2人で相槌を打った。

スイスは川と湖と森と山でできているようなもの。歩くところはいくらでもある。有名な観光地へ行かなくても、そこらじゅうからアルプスを眺められるし、自然保護区になっている湖や川、湿地帯も数えきれないほどある。思いがけず野生動物に出会うことも。

スイスに来たばかりのころは、なんでみんな雨が降ろうが槍が降ろうが歩くんだろう?と横目で見ていた。今や私もすっかりスイス人になったのか。

最近はあちこちでひなげしの花が目を奪う

春爛漫

今が一番いい季節なのかもしれない。日が長くなり、気温も上がり、どこを歩いても草花に見惚れる時期だ。空を見上げると、トンビやカラスのほかにコウノトリの姿も見えたりする。沼を訪れればカエルの鳴き声が聞こえ、そのうちきっとうちの周りでもハリネズミがうろうろし出すだろう。

我が家の目の前は一面たんぽぽ畑。もう少ししたら白い綿毛に埋め尽くされる。

うちから歩いて30分くらいの高台にある農村は私の大好きな場所。今は梨の花が満開で、もうすぐリンゴの花も満開になる。濃いピンク色をした蕾と薄いピンク色の花が混じり合う様子はいかにも可愛らしい。

春の唯一の難点は北風が強いこと。乾燥した北風が続くと植物は弱ってしまう。あ、難点はもう一つあった。花粉が飛びまくり、呼吸困難になることだ。それでも天気がいい日は洗濯物を外に出さずにはいられない。太陽光は花粉より強し!

ひと仕事終えたらもう春

次の週末で夏時間に切り替わる。もうすぐ3月も終わりだ。日が長くなっているのがよくわかる。それはとてもうれしいけれど、今年ももう4分の1が過ぎてしまうと思うと愕然とする。そう言うと、誰しもうなずく。年を重ねるとともに時間の過ぎるのも速くなるというけれど、スピード化が当たり前の今の世の中、みんな同じように感じているのだろうか。

フォアアルルベルクの山村で見かけたかわいい窓

去年の暮れからコーディネートを始めていたオーストリアでの仕事も終わり、今は朝ゆっくりと新聞を読み、また自分のやりたい翻訳をしている。オーストリアの仕事はまだまだ先の話だと思っていたのに、終わって早や1週間が経つ。顧客は4人のアカデミックな女性。その前の仕事でも女性2人に男性1人。最近は女性の活躍が目覚ましいのだろうか。何となくうれしい。そして、みなさんがとてもやさしいのもうれしい。

オーストリアではフォアアルルベルク地方をあちこち周ったのだが、その中にグローセス・ヴァルザータールという場所があった。名前からして、もしかしたらスイス南部のヴァリス地方から大昔に移住した人たちがいるところなのかもしれないと思っていたら、やっぱりそうだった。

家のドアにも風情がある

オーストリア東部、フォアアルルベルクの方言はスイスのそれによく似ているが、このグローセス・ヴァルザータールは土地の雰囲気もヴァリスに少し似ている。谷を挟んで小さな村が点在していて、直線距離にしたら近いのに、間に谷があるため、いったん谷底に下りてから向かいの村に行くか、高所に作られた道路をぐるりと走って行くしかない。初めて行った場所だったけれど、ちょっと親近感を覚える土地だった。

通訳だけでなく、コーディネートも兼ねたのは久しぶりだったし、それを外国でやるというのは初めてのことだった。一番の心配は、移動。とにかく時間に遅れないように。各訪問先への到着時間はもちろんのこと、みなさんの帰りの飛行機に間に合うように。そして、けがや病気がないように。今回も無事終わったことに感謝。

今は水仙が花盛り。これからいろんな春の花が咲く

この世の生を考える

大仰なタイトルだ。あの世にも生があるのかどうか知らないけれど、この世の生にはとにかく限りがある。

昨年は義母が亡くなり、年末には長い付き合いのあった、私より若い人がこの世を去った。誰かがこの世からいなくなったり、いなくなりそうになったりすると、生をめぐるいろんな思いが飛来する。私たちは生きてもいるし、生かされてもいるし、生きさせてもらってもいる。歴史に残る偉大な、あるいは愚かな行いをした人もいれば、生まれてすぐに命を落とす子どもや毎日の暮らしに追われるうちに一生を終える大人もいる。過半数は私のように、気がついたら還暦を迎えていた、という人生なのかもしれない。

それでは、いったい何のための人生なのか。この世に生を受けたから、まずは親に命をつないでもらい、親離れをしたら自分で生き続けていく。なぜ生きるのかなど、考えもしない。それが普通の、当たり前のことなのだから。周りもみんな同じ。病気になったら早く元気になろうとし、元気になったら健康を維持しようと努力する。生きたいからそうするのか。ただ痛みや不調から解放されたいからそうするのか。

50歳を過ぎると、大病をする人が一挙に増え出す。どこまで発展するのかわからない医療の力が無ければ、お前たちの寿命は昔と変わらないんだよ、と言われているようだ。

私は長生きしたいとは思わない。でも、死ぬまで健康でいたい。と数年前、今はもう引退してしまったかかりつけの歯科医に言ったら、「人間、死ぬときはみんな病気よ」と返された。目から鱗。確かに、死ぬにはその理由がある。健康な人がばたっと死ぬことはない。

私がスイスに来た頃は、夫の祖父母も1人を除いて健在だった。今は祖父母はもちろん、夫の父母ももういない。そして、その代わりに義妹の子どもたちが成人し、もしかしたら数年後には親になっているかもしれない。世代が変わり、時代が移り変わることは百も承知の事実なのだけれど、人類がこうして脈々と子孫を残し、歴史を紡ぎ、未来に手渡してきたと改めて考えると、なんだかとても不思議な気がする。個々人はいつか消えてなくなるのに、人類は生き続ける。人類史上に何の功績も残さなかったかのように見える「その他大勢」も、いなくてはならない存在だった。その人を愛した家族や友人にとってだけではなく。