月: 2019年1月

子どもから学ぶ

私たちには子どもがいないので、子どもを通じて学ぶということが少ない。チャンスがあるのは姪や甥と会うとき。日本にいる甥姪はもうみんなほぼ大人になってしまった。それでも、若い世代から学ぶことは多々あるだろう。こちらの義妹の子ども二人はまだ義務教育中で、父親とは別居なので、ときどき一緒に旅行に行く。連れ合いを一昨年亡くした義母も、最近は一緒だ。

去年の(といっても、まだ数日前のことだけれど)クリスマスイブにも例年通りみんなで集まり、ワイワイと楽しく過ごした。メインディッシュを食べ終えると、甥がみんなをやたらと散歩に誘う。母親の義妹もそれを促す。私たちは甥の先導でぐるりと近所を一周し、あるアパートの前で止まった。「ここ、僕たちの新居だよ!」。何かウラがあるのかなぁ?と怪しんではいたけれど、実は数日前に、改築のため退去を求められている今のアパートの代わりがすぐそばに見つかっていたのだった。アパート探しが困難なことはみんな知っており、心配しているところだったから、夫も義母も、もちろん私も大喜び。家族にとっても素敵なクリスマスプレゼントになった。

と、ここまでは余談。この散歩中に、10歳の姪に尋ねた。「うちの近所の子どもたちは、会っても挨拶しない子が多いのよね。お母さんは二人に挨拶しろって教えた?」散歩の途中に見知らぬ人と出会い、二人が元気よく挨拶したので、聞いてみたのだった。姪は「教えられてないよ」と答えた。「じゃあ、どうして挨拶をするようになったの?」「会う大人が挨拶をするから」

なるほど。子どもにものごとを教えるのは親だけじゃない。私はこんな当たり前のことを忘れていたのだった。これからは挨拶をしない子どもや親を不満げに見送るのではなく、相手が目を合わさなくても、私は挨拶をするようにしよう。姪っ子よ、ありがとう。

さて、2019年も無事に明けた。昨日の夜は8時くらいからすぐ目の前の砂利道や広場で打ち上げ花火が上がり出した。雨も止み、気温もそれほど低くなかったので、あちこちで花火を上げていたようだ。びっくりしたルーシャはすぐにうちに戻って来て、夜中までずっとベッドの下や植物の陰に隠れていた。音があまりにも大きいときは、ルーシャの耳を塞ぎに行った。花火は休憩をはさみながら夜中の12時半くらいまで続いた。

今朝、私より少し早くベッドを抜けだした夫が「Mが1人で花火のごみを集めてる」と言う。まだ若いMは二人の子どものお父さん。子どもが大好きのようで、よく一緒にサッカーをしたり自転車に乗ったりして遊んでいる。ごみを集めるのはいいけれど、花火をしたのは子どもたちだろう。自分で点火しなくても、それは確かに子どものためのイベントだったはず。それなら、子どもと一緒にごみを集めればいいのに、と思った。自分がやったことの後始末を自分ですることを学んでもらうために。小さいときからの「訓練」はやっぱり大事だ。

平野部の上空は暑い霧に覆われていたけれど、北東部の山岳地帯の一部には青空が広がっていた。光を求めて車を走らせ、青空と雪を楽しむ