月: 2016年9月

夏の締めくくりハイキング

「未知との遭遇」があったレストランは右手。中に入れずに残念

「未知との遭遇」があったレストランは右手。中に入れずに残念

スイスに来たばかりの頃、ヴァリス州の小さな山村に連れていってもらったことがある。夫の家族がよくスキー休暇に行っていた村だ。そこでは、家族経営の小ぢんまりとした貸しアパートに泊まっていた。25年前のあの時もそのアパートに泊まり、夕食のテーブルでだったか、食後の団らんでだったか忘れたけれど、みんながスイスドイツ語を教えてくれたことを覚えている。この言葉は大事よ、と義理の母や祖母が笑いをこらえながら何度も私に繰り返させたのは「そんなのどうでもいいことよ」というセリフだった。

この辺りで採れる石が屋根瓦に。味わい深い

この辺りで採れる石が屋根瓦に。味わい深い

私たち夫婦は車で出かけ、夫の家族は電車で行った。村のあるレストランで待ち合わせをしたのだけれど、私が中に入った途端、がやがやしていたレストランが一瞬、ぱっと静かになった。みんなの目が私に集まっていた。山の中のレストランにアジア人が現れたのはきっとこれが初めてだったのだろう。宇宙人でも見ているような雰囲気だった。見ている方もびっくりしていたんだろうが、見られている方もびっくりした。普段、歩いているチューリヒの市内や近郊の町では、経験したことのない雰囲気だったから。今では笑い話だけれど。

ネズミが登れないように床が上げてある貯蔵庫

ネズミが登れないように床が上げてある貯蔵庫

25年後の今、そのレストランは閉鎖されている。先週、3泊でその村を訪れ、秋の青空の下でハイキングを楽しんだ。「あのレストランにも行こうね」と足を向けたが、周りはひっそりとしている。建物は花などできれいに飾られているけれど、泊まったホテルの奥さんの話によると、1年前に売りに出されてそのままなのだとか。

標高1200メートルくらいのところにあるこの村は、ハイキングよりもおそらくスキーに来る人の方が多いのだろうが、奥さんの嘆きは大きい。近くにはシャレーもたくさん建っているけれど、持ち主のオランダ人やドイツ人の多くが売り払ってしまったという。スイスフラン高のせいか、雪が少なくなったせいか……。店じまいをしたのは、宇宙人が降り立ったあのレストランだけではなかった。「農家は政府がいろいろと援助してくれるけど、ホテル業には何もない」とため息が漏れる。確かに、この村も、隣村も、昼間でもほとんど人がいない。冬にはもう少し賑わうのだろうか。いろいろと考えてしまった。

ユネスコ世界遺産にもなっているビエッチホルン。きれいな形をしているのですぐにわかる

ユネスコ世界遺産にもなっているビエッチホルン。きれいな形をしているのですぐにわかる

Suonと呼ばれる水路

Suonと呼ばれる水路

ヴァリスの山にはSuonと呼ばれる水路があちこちにある。灌漑用の水路で、場所によっては何百年も前に作られたと言われている。私はその存在は知っていたものの、泊まった村にもあるかどうかなど、考えもしなかった。お勧めのハイキングコースの説明をざっと読んだときにも、全然ピンと来なかった。前日になって、ちゃんと説明を読んで初めて「ああ、これがあの!」となり、翌日は秋晴れの空の下、5時間ほど山の中を歩いた。この辺りの水路は地面を掘って作ってあり、ところどころ地下に潜る。特に傾斜が急なわけでもないのに、ずっと流れがあって滞らない。夫は「すごい技術だなぁ」と感心していた。水路に沿って歩いたのは1時間ほどだろうか。時々聞こえるせせらぎとさわやかな空気を満喫した。ハイキング道自体は起伏が激しく、道に迷って藪の中を歩いたりもした。10年後にはこの道はもう歩けないかも……なんて思いつつ。

行きはジュネーブ湖畔を周って、帰りは来た道を戻らずそのまま東へ走って峠を越え、中央スイスを抜けて。「ツール・ド・スイスだね」と笑いながら。久しぶりのヴァリス。片道3時間半から4時間と、私にしてみるとやっぱりかなり遠い。次に行くのはいつだろう。

峠越え。左はたぶん、以前氷河だったのだろう

峠越え。左はたぶん、以前氷河だったのだろう

峠から谷を眺める。峠越えは正直、怖かった

峠から谷を眺める。峠越えは正直、怖かった

 

 

 

 

 

 

 

でも、悲しいの

昨日、チューリヒの街に出て、普段あまり利用しないスーパーで久しぶりに買い物をした。入ってすぐの青果売り場で、街中にしては珍しく高齢の女性と男性が二人で立ち話をしていた。「こんな場所でも知り合いに会うんだ」と二人を横目に見ながら果物を選び、そのまま奥に進んだ。

最後にカッテージチーズを買わなくちゃと、ちょっと戻って乳製品の並んでいる冷蔵庫へ。ちょうどカッテージチーズが置いてある場所に老婦人が一人立って、ミニサイズを手に取って眺めていた。私が隣に並ぶと、「ちょっとごめんなさい。これ、なあに?」と聞く。カッテージチーズはドイツ語でヒュッテンケーゼというのだが、このミニサイズは英語でカッテージチーズと書かれている。で、私がそれを説明したところ、そこから「あなた中国人?」とか「何年くらい住んでるの」とか「お仕事は?」とか、話が個人的なことに及び始めた。次の電車の時間までまだ20分くらいあったので、しばらく彼女の話し合い手になっていた。すると彼女は、「あなた、とっても親切ね」と私をじっと見る。そして、「でも私、悲しいの」とうつむく。10分くらいの会話の間に、たぶん5回くらいはそう言っただろう。何が悲しいのか、聞こうと思っても、次の質問が飛んできて、結局理由は聞けなかった。そろそろ電車の時間も近づくと思い、「じゃあ、そろそろ失礼します。よい一日を」と言いながら、彼女の肩にそっと手を置いた。そのときの彼女の驚いた表情が忘れられない。

あの人は、青果売り場で男性と話していた高齢の女性だったと思う。何かの病気を患っているのかもしれない。寂しくて、毎日、近くのスーパーへ行っては話し合い手を探しているのかもしれない。

家に帰って、夫にこの話をしたら、「この村では、そういう人はきっと見ないだろうね」と言う。そう、たぶん、見ないだろう。森の中に一人きりでひっそりと住むより、大勢の人間が住む大きな町で話し合い手もなく住む方が、孤独は深い。

星の数ほど

先週末、男性2人と女性1人を夕食に招いた。今夏の天気は「縞模様」だが、週末はまずまずの天気になることが多く、この日も上着を羽織りながら夜更けまで外で過ごした。

我が家の北側は飛行機の着陸ルートになっていて、轟音は聞こえないけれど、着陸態勢に入った飛行機が東から西へと次々に飛んでいくのがよく見える。それを見たためか、一番若い男性が自分のスマホに入っているAppを見せ始めた。世界で現在飛行中の飛行機のルートや情報が一瞬にして手に入るAppだ。もうすぐ60歳になる男性から40歳前までの男性3人はすごい盛り上がりよう。頭をつき合わせてワイワイやっている。おかげで私は女性とゆっくり話をすることができたけれど、4フラン出して買ったAppは、1週間もすればもう絶対に見向きもされなくなるはず。夫は「いや、毎日窓から飛行機が見えるんだからそんなことはない」と言い、さらに2フランを出して何やらオプションをつけていた。ま、好きにしてください。

それにしても、そのAppの地図を見て驚いた。誰かが「星みたい」と言ったほど無数の飛行機が地球を飛び回っているのだ。「こんなに飛んでいても事故はほとんどないんだから、安全だよね」と夫が言う。確かに。でも、私はこの「星空」を見てぞっとした。365日四六時中これだけの飛行機が飛んでいたら、地球温暖化を止めるのなんて無理じゃない?どうして誰も飛行機の数を減らそうとしないんだろう?

前々から今の航空運賃は安すぎると思っていたけれど、きっとそれもこんなに飛行機が飛んでいる理由の一つに違いない。日本まで10万円もかけずに帰ることができるのはうれしい。でも、やっぱり何かおかしい。

朝霧がそろそろ出だした、秋の始まり

朝霧がそろそろ出だした、秋の始まり