目がかゆい。鼻の奥がむずむずする。くしゃみの連発。鼻のかみ過ぎで周辺がヒリヒリ。春だなぁ。これから気温も20度近くまで上がるそう。
先週末は浴室のタイルを磨いた。その前には窓を拭き、今週末は庭を掃き、春の花を植えた。去年植えた木もちゃんと芽吹いている。よかった。秋に植えた水仙も咲いているし、チューリップも順調に大きくなっている。当たり前のことなんだろうけど、うれしい。最近はご近所さんたちもバルコニーや庭で活発に動いている。暖かくなると、顔を合わせる人の数が増える。子どもたちも外で走り回り、すべてが息づき出す感じだ。
アパートの玄関脇に植えたクロッカスは一番に花を咲かせたが、すぐに花が摘まれてしまった。たぶん、同じアパートに住む子どもたちが摘んだのだろう。そのときはちょっと悔しくて悲しかったけれど、子どもが通るところにわざわざ摘んでくださいと言わんばかりに植える方も悪いかも、子どもなら可愛い花があれば摘みたくなるのは当たり前、と思い直した。来年になればまた咲くだろうし。
それから少しした週末、夫と車で外出から帰ってくると、地下駐車場の入り口近くの遊び場に近所の若い数家族が子どもたちと一緒にいて、一人の母親が私たちを見て寄ってきた。「ごめんね、あの花摘んだのうちの子なのよ」と謝る。「ああ、そうなんだ。言ってくれてありがとう。そんなに気にしなくていいよ」と私たち。
そして昨日、同じアパートのある父親と久しぶりに顔を合わせると、「あの花、本当に悪かったなあ。うちの子が摘んだんだ」と言う。同い年くらいの幼児がいる2家族。女の子たちがわいわいとクロッカスを摘んだのだろう。「お詫びにワインか何か持っていくからね」。「そんな、たかがクロッカスを数本摘んだくらいでそれは大げさだよ。言ってくれただけで十分」。
それから数時間後、誰かが表玄関でブザーを押す。お客が来る予定はないし、誰だろう?ドアを開けると、さっき話した男性の奥さんと最初に謝ってくれた女性のご主人、それに花を摘んだ子どもたちが3人、ワインとチョコレートの箱を持って並んでいる。「花を摘んじゃってごめんなさいね。ほら、ちゃんと謝りなさい」。「そんな、大げさだよ。来年また咲くだろうし、いいのよ、もう」。「いやいや、子どもたちにちゃんとわからせないといけないから」。わずか数本のクロッカスのためにこんなにたくさん謝られるなんて、ワインとチョコを手に私たちは面食らってしまった。クロッカスも摘まれ甲斐があっただろう。最後に「あそこに花を植えるのは、なかなかいい手かも」と言ったのは夫です。