月: 2014年3月

ワインとチョコになったクロッカス

目がかゆい。鼻の奥がむずむずする。くしゃみの連発。鼻のかみ過ぎで周辺がヒリヒリ。春だなぁ。これから気温も20度近くまで上がるそう。

先週末は浴室のタイルを磨いた。その前には窓を拭き、今週末は庭を掃き、春の花を植えた。去年植えた木もちゃんと芽吹いている。よかった。秋に植えた水仙も咲いているし、チューリップも順調に大きくなっている。当たり前のことなんだろうけど、うれしい。最近はご近所さんたちもバルコニーや庭で活発に動いている。暖かくなると、顔を合わせる人の数が増える。子どもたちも外で走り回り、すべてが息づき出す感じだ。

アパートの玄関脇に植えたクロッカスは一番に花を咲かせたが、すぐに花が摘まれてしまった。たぶん、同じアパートに住む子どもたちが摘んだのだろう。そのときはちょっと悔しくて悲しかったけれど、子どもが通るところにわざわざ摘んでくださいと言わんばかりに植える方も悪いかも、子どもなら可愛い花があれば摘みたくなるのは当たり前、と思い直した。来年になればまた咲くだろうし。

それから少しした週末、夫と車で外出から帰ってくると、地下駐車場の入り口近くの遊び場に近所の若い数家族が子どもたちと一緒にいて、一人の母親が私たちを見て寄ってきた。「ごめんね、あの花摘んだのうちの子なのよ」と謝る。「ああ、そうなんだ。言ってくれてありがとう。そんなに気にしなくていいよ」と私たち。

そして昨日、同じアパートのある父親と久しぶりに顔を合わせると、「あの花、本当に悪かったなあ。うちの子が摘んだんだ」と言う。同い年くらいの幼児がいる2家族。女の子たちがわいわいとクロッカスを摘んだのだろう。「お詫びにワインか何か持っていくからね」。「そんな、たかがクロッカスを数本摘んだくらいでそれは大げさだよ。言ってくれただけで十分」。

 庭の彩りがだんだんにぎやかに。見ているだけで楽しくなる

庭の彩りがだんだんにぎやかに。見ているだけで楽しくなる

それから数時間後、誰かが表玄関でブザーを押す。お客が来る予定はないし、誰だろう?ドアを開けると、さっき話した男性の奥さんと最初に謝ってくれた女性のご主人、それに花を摘んだ子どもたちが3人、ワインとチョコレートの箱を持って並んでいる。「花を摘んじゃってごめんなさいね。ほら、ちゃんと謝りなさい」。「そんな、大げさだよ。来年また咲くだろうし、いいのよ、もう」。「いやいや、子どもたちにちゃんとわからせないといけないから」。わずか数本のクロッカスのためにこんなにたくさん謝られるなんて、ワインとチョコを手に私たちは面食らってしまった。クロッカスも摘まれ甲斐があっただろう。最後に「あそこに花を植えるのは、なかなかいい手かも」と言ったのは夫です。

震災3年イベント

金曜日の夜、チューリヒ市内で行われた震災3年に関するイベントへ行ってきた。福島県伊達市に住む人々を追った記録映画と、チェルノブイリの映画、そしてパネルディスカッション。珍しく一緒に行くと言った夫が残念ながらインフルエンザにかかり臥せてしまったので、一人で行ってきたのだが、家に帰った後、やっぱり行ってきてよかったと思った、そんなイベントだった。

伊達市の人々の記録映画は「A2-B-C」と題された、在日米人監督イアン・トーマス・アッシュさんの作品。この夜は監督もいらしていて、映画を上映した後、すごく聞きやすい英語で、物静かに現場の様子を語ってくださった。日本在住12年。堪能な日本語を使い、通訳なしで撮影。おそらく日本のマスコミは一切報道しないと思われる現地の方々の本音がたくさん詰まっている。

原発問題、被曝問題はとても複雑な問題だ。感情の占める割合も大きい。たぶん大部分の人が心に秘めた「不安な要素は頭から追い払って普通に暮らしたい」という気持ちもよくわかる。でもそれは「ただちに」影響が出ていないからではないだろうか。そんな流れに杭を差し、長期的な視野で国民を守るのが政府の役目ではないのだろうか。

パネラーの一人で福島を訪れたことのある医師マルティン・ヴァルターさんは「基準値は決めずに、避難したい人には避難をさせる。リスクを理解した上で残りたい人は残る。そして、避難した人には国が生活の保障をするべきだ」と話した。私もその通りだと思う。不安は福島だけに限られているわけではない。原発を推進するならば、そこまでの責任を関係者は負うべきだと思う。

自らの健康を害するというリスクを負いながら、今も、そしてこの先何十年も、数え切れないほど多くの人々が福島第一原発の後始末をしなくてはならない。人材の確保は困難になる一方だろう。福島県以外でも復興は遅々として進んでいないようだ。地元の人に屈託のない笑顔が戻るのはいつのことだろう。原発の中で働く作業員の方々に感謝し、そして被災地の方々に幸せな時間が増え、福島第一原発がこれ以上毒をまき散らすことのないようにと毎晩手を合わせている。日本がこんなことになるなんて、今でもまだ信じきれない。

書かずにはいられない体験

50歳を過ぎての初体験。と畜場の査察に通訳として同行させていただいたのだ。依頼をもらい、内容をちゃんと読まずに返事をしてしまったあと、少し後悔した。今からでも断ろうか、いや役人さんの訪問だからきっと殺すところなんか見ないだろう ― あれこれと考えをめぐらす日が続いた。私は肉はあまり好きではないけれど、人間は肉を食べる生き物だと思っているし、動物が私たちのためにどんな風に殺されていくのかを見ておくのもいいことだろう。そう思ってやってみようと決心した。

仕事の前の数日間、と畜場の様子をいろいろと想像してみた。というか、想像せずにはいられなかった。最初は目に見えるものをイメージしていただけだったが、牛の鳴き声も聞こえるだろうし、解体場では匂いもするはずだ。でも、死臭ではないし、どんな匂いだろう?生肉を扱うのだから現場はどちらかというと寒いはず……。足元も汚れそうだ。

こんな風にいろいろと考えたり、友達に話したりしているうちに、日本には「いただきます」という素晴らしい独特の言葉があるのに、私はもうそれを儀礼的にしか使わなくなっていることに気がついた。通訳に行ってクライアントと一緒に食事するときにはよく「Guten Appetit」って日本ではどう言うの?と聞かれる。そのときには、「Itadakimasu」と言うけれど、「Guten Appetitt」とは意味が全然違うのだということを説明する。そんな説明をしているくせに、私自身はもう何にも感謝をしていないということに気がついた。これからはもっと感謝の気持ちを込めて「いただきます」と言おうと思った。

さて、今回は前泊することになっており、夕方まずルツェルンのホテルへと向かった。チェックインを済ませ、エレベーターに乗って宿泊ルームがある階で降りると、日本人男性2人と外国人男性が1人、目の前に立っていた。クライアントのNさんとKさん、それにスイス側のRさんだった。一緒に部屋まで行く。「私、ちょっと緊張しているんです」と言うと「え、初めてなんですか?ショック受ける人がいるんですよね」と隣部屋になったKさん。そこにNさんもやってきて「初めて?ショック受ける人がいるんですよね」。むむむ。「お2人で全く同じセリフを言わないでください」。ちょっとビビりながら部屋に入って電気をつける。暗い……。今晩はもうちょっと明るい部屋で過ごしたかったなぁ。

翌日、まずと畜場に向かう車の中でNさんとKさんからレクチャーを受ける。だがその間、お腹に力が入らず、頭も何だかだんだんしびれてくるよう。本当に私に務まるんだろうか……。友人のベテラン通訳さんは断ったと言ってた。と畜場に着き、いよいよ現場に向かう。「なかなかきれいなところですね」というNさんの言葉に少し安堵。「査察は普通、小さく肉をカットする場所から始めて、逆戻りしてだんだん汚いところへ行くんです」。ああ、そのほうがいいな。と畜は最後!ところが、今日は搬入される牛の数が少なく、逆戻りするとすべての工程を見ることができない、つまりと畜自体を見ることができないという。で、私たちは結局牛と同じように工程を進んでいくことになった。むむむ。

まず、牛が搬入されるときには獣医が牛の健康状態をチェックする。今日の獣医は女性だ。スタンガンで気絶させるときにもそばにいるという。彼女を見て「ああ、女性も牛が殺されるところを見ているんだ」と思ったら少し気持ちが落ち着いた。自分より大きな牛の体を処理する解体場にも若い女性がいた。深呼吸はちょっとできないかなという生臭さが満ちている。手に液体石鹸の匂いが残っていたので、苦しくなるとそれを嗅いだ。でも、作業場は昨日のホテルの部屋より明るい。当たり前か。

ある友人がスタンガンのシーンは見るものじゃないそうよと言うので、気絶させるところと首をはねるところは見ないで済むようにしてもらった。みなさん思いやりのある方たちで、放血のシーンが見えそうになると、視界をさっと紙で隠してくださった。2軒目のと畜場で(ここでは通常通り、逆戻りで査察)、スタニングを避けて係留場である社員と話しながらほかの人が外に出てくるのを待っているとき、「解体場で問題なかったら、スタンガンもたぶん大丈夫でしょう」と言われた。Nさんにそう話したら、「たぶん放血が一番ショックじゃないかな」と言う。彼ら2人は獣医の資格を持っているし、しょっちゅう見ていることなのでぜ~んぜん何ともなさそうだ。食事もほぼ毎回お肉を食べていた。やっぱり慣れなのでしょうか。私も木曜日に仕事を終えて土曜日にはもうお肉をいただいていたけれど。

とにもかくにも、これまでで唯一「後悔するかな」と思った仕事を無事最後までやり終えることができて一安心。これまでのところ、夜うなされることもないし、一つ免疫が増えたかも。