投稿者: webadmin

ひと休み

振り返ってみれば、何をやっていたのかわからないうちに夏が終わっていた。久々のロケの仕事で興奮した6月末。7月は、カレンダーを見ると友だちと多く会っている。ああそうだ、スイス映画の字幕の監修をやらせてもらった。思ったより時間がかかったけれど、あれも楽しい仕事だった。8月も友だちとよくランチに行っている。そうか、夏はプライベートで忙しかったんだ。庭の雑草取りも窓拭きもできなかったのは遊び歩いていたからだったのか。仕事が忙しかった気がしていたけど…。

9月初旬の2週間はマヨルカでのんびり。休暇の前になると、なぜか仕事が舞い込み、気ぜわしくなる。今回も例外ではなかった。そしてスイスに戻った後もすぐ仕事モードになった。普段ぼ~っと過ごしていると、ちょっとした仕事でも仕事モードの針が大きく振れる。

真夏の地中海からスイスに戻ると、もうすっかり秋の気配だった。しばらく憂鬱で、涙が出そうだったほど。数年前から、夏が終わってしまうのをひどく寂しく思うようになった。すっかり秋になると、木々の彩りや季節の食材に慰められてまた元気になるのだけれど。

10月初旬は例年通り、フォレスター研修の通訳で3日間、森の中の道なき道を歩いた。スイスのフォレスターの皆さんは体格がよく、普段から急傾斜の森の中を歩いているのでいばらの道もすたすたと進んでいく。研修にいらっしゃっている皆さんも山の中をよく歩いているので、私は平日のウォーキングや週末の山歩きで少しは足腰を鍛えているはずと自負していたけれど、やはり訓練足らずで「よいしょ、ひえ~」などと独り言を言いながら着いていくのに必死だ。今回はずるっと足を滑らせて転んでしまった。

フォレスターもそうだけど、作業服を着て外で働く人を見ると、かっこいいと思う。建物の中で座ってばかりいるのは、人間本来の姿とはやっぱり違うのだと思う。

森歩きでもらった筋肉痛が治るか治らないかのうちに、もう一度ロケのお手伝い。なんとここでもまた筋肉痛になりそうな急斜面を歩くはめに……。しかも重~い三脚を持ちながら……。そこを案内してくれたのは70歳になる元ジャーナリスト。彼は軽い口調で「20分くらい歩くよ」と言ったのみだった。素晴らしい景色だったのだけれど、まさかこんな野性的な傾斜を歩くことになるとは。

彼の家は国道から階段を120段下りた場所にあるという。日常的にそこを歩いているのだから、自然足腰が鍛えられる。体もがっしりしているけれど、やっぱり常日頃からの訓練だなぁと実感した日々だった。

こうして振り返ると、最近は翻訳の仕事が減り、通訳の仕事の方が多い。先輩通訳から会議の同時通訳などはAIがやるようになっているという話も聞いたけれど、視察や研修などはまだまだ人間の力が必要だと思う。ちょっとした会話でその場の空気を和ませたりすることはAIにはできない。

逆に、論理的な翻訳ならAIの方がうまいかも、と私などは思う。巷では、最近はやはり機械翻訳した物の最終校正の仕事が増えているようだ。翻訳・通訳業界は今、大きな転換期にあるのだろう。

木々の黄葉・紅葉が美しくなって、外を歩くのが楽しい

ぜいたくとは

地中海に浮かぶマヨルカ島はヨーロッパの人気の休暇地だ。太陽の日差しを長々と楽しむことができるし、採りたての野菜や果物、オリーブなんかもとても美味しい。

そして、この島にはフィンカという、農家を改築した宿泊施設もたくさんある。たいていは何部屋もある大きな建物でプールもついている。家の周囲は果樹園などに囲まれて広々としており、プライベートの時間を満喫できる。

2年前、珍しい2人用のフィンカを見つけ、1週間ばかり滞在した。オーナーの男性はドイツで働いた経験を持ち、ドイツ語がペラペラだ。部屋もプールも清潔だし、約束の時間もきっちり守ってくれる。ドイツ語圏のリピーターが多いようで、去年はもう予約できなかったけれど、今年9月に2週間弱滞在することができた。

海水の温度はまだまだ高く、もうすっかり秋の気配が濃くなったスイスとは違って、再び真夏の中で蚊に刺されまくりながら太陽エネルギーをたくさん吸収してきた。

実はこのマヨルカも、今はオーバーツーリズムで住民のデモなども起こっている。私たちが滞在した場所はそれほどの観光地ではないので、比較的静かだ。首都のパルマ・デ・マヨルカには毎回1度は遊びに行っていたけれど、デモのニュースを見てしまったので、今回は「やめようね」ということになった。でも、名の知れた街はどこも大勢の観光客でまみれているよう。そして、ホテルやお店が立ち並ぶ海岸も。

スイスで日ごろハイキングに行く場所はほとんど人とすれ違わないようなところが多いけれど、ビーチの選択も同じだ。デッキチェアやビーチパラソルの貸し出しもなければ、店もなく、トイレもない。駐車場からは20分くらい、大きな石がごろごろしている坂道を、タオルやらパラソルやらの荷物を持って歩く。そこにいるのは、自然の多い静かなビーチを好む人たちだ。

毎日毎日、朝ゆっくり起きてお昼前に海に向かい、3時間ほど砂浜に寝転がって読書をしたり、ぼ~っと空や海を眺めたり、プールのような海で泳いだり。そしてまた20分ほど上り坂を歩いて車に乗り込み、フィンカに戻る。シャワーを浴びてさっぱりした後の楽しみは、もぎたてのイチジク。庭の木にたくさんなっているので、自由にとって食べていいのだ。オーナーが食べごろのイチジクの見分け方や、冷蔵庫で1時間くらい冷やしてから食べると美味しいと教えてくれた。暑い中、ほんのり甘く、さっぱりと冷えたイチジクは格別のおいしさだった。これぞ、ぜいたく!

最寄りの街アルテの中心にある広場には、夕方いつも子どもたちが遊びに来る

 

1日雨の日があった。雨脚が強くなる前にハイキング。この辺りは松の柔らかな緑がとても美しい

冷夏よ、終われ

6月は半ばから猛暑が続いた。7月に入ってからというもの、気温はずっと20度を少し上回る程度で、曇りや雨の日ばかり。おかげで水不足や乾燥はなくなったものの、今度は逆に川の水があふれ出たり、土砂崩れが起こったり。でも、この気象の気まぐれも、もとはと言えば私たち人間のせいなのだ。

庭のアジサイは夏は白い花が美しく、だんだんとピンクがかって秋には赤から茶色に変色するのだけれど、今年はもう7月からイチゴミルクに変わり出した。

数日前から、朝には靄が地上を覆い出している。もうすっかり秋の気配だ。まだ8月にもなっていないのに。来週半ばからまた気温が上昇しそうだが、ぜひ夏に戻ってきてもらいたい。スイカもまだ一回しか買っていないし…。

先月のテレビの仕事に続いて、今度はスイス映画の字幕監修をさせていただいた。映像の(冷)夏だ。字幕翻訳はよくさせていただいているけれど、日本の映画館で上映される映画の字幕に接するのは初めてで、ここでもいろいろと勉強になった。翻訳は本当に奥が深い。だんだんと存在感が大きくなってきたAIだが、生身の人間の感性がなければできない翻訳や通訳もまだまだあると実感した(冷)夏。

学びの初夏

6月半ばに義母がこの世を去った。がんの診断を受けてからわずか2カ月。84歳の高齢で、その前から食事の量が格段に減って体力がなかったため、医師は手術をしないという判断を下し、義母も受けないと断言。放射線治療と抗がん剤治療を始めたが、これも体力がなさ過ぎて始めるや否や中断が続き、結局痛みを和らげることのみに専念する日々を送った。

若い頃から、子どもにも健康な食事をさせ、晩年もかなりの健康オタクだったので、不調を聞いても、私は義母に限って大病はないとまったく心配していなかった。診断を聞いて驚いたが、本人のショックはかなりだったはず。それなのに、義母は最期まで平静で、声もほとんど出ないのに冗談を言って看護師や私たちを笑わせた。

2人だけで過ごす時間はほとんどなかったけれど、いつもいつも気にかけてくれ、誰に対しても感謝の言葉を忘れることがなかった。一時は死相が表れていた顔も、最期は義母らしい顔に変わり、安らかな表情になっていた。義母の最期に付き添い、事務的なことから最期の生き方まで、いろいろなことを学んだ。私も義母のような死に方をしたいと思った。

庭から見る夕暮れがまた美しくなってきた

こんな日々を送る一方で、稀なロケ通訳の仕事をいただき、こちらもこちらでいろいろと勉強をさせてもらった。大掛かりなロケ隊で、コーディネーターはとても大変だったと思うけれど、素晴らしいチームワークで無事終了。テレビ番組の制作プロセスを少し覗き見ることもでき、楽しい日々を過ごさせていただいた。

もう30年くらい前になるけれど、一度北海道テレビのロケのコーディネートと通訳をさせていただいたことがある。そのときもかなりハードなロケだったけれど、みなさんとてもユーモアがあり、笑いっぱなしの楽しい時間を過ごした。その時にディレクターの方が「こうやって笑ってなきゃ、とてもやっていけません」みたいなことをおっしゃっていた。

スイスのテレビの業界人がどんな風に仕事をしているのかはあまり知らないけれど、この「大変な時には笑う」というのは日本人特有の知恵というか、長所ではないかと思う。大変だからこそ、辛いからこそ、みんなで笑う。

義母を囲んだ私たちも、病室でいつも冗談を飛ばして笑っていた。夫や義妹はスイス人だけど。

春の花が咲き終わり、ひまわりが満開を迎える

村を歩く楽しみ

雨上がりの遅い午前、太陽まで出てきたのでさっと買い物を済ませることにした。今週1週間はずっと雨模様の予報なので、西の空は明るいけれど、念のため折りたたみ傘を持ち、サングラスをかけて家を出る。傘とサングラスを両方持って出ることは少なくない。1日の間に天気が目まぐるしく変わるのだ。

スーパーへ行く途中、顔見知りの庭師が道端の花壇で仕事をしているのを見かけた。近所に住む人だ。役場の仕事をしていて、しょっちゅう花壇の整備をしているのを見る。通り過ぎたとき、彼がふっと顔を上げたので挨拶を交わした。村にはあちこちに花壇があって、いつもとてもきれいに手入れされている。それに植えられている花のセンスがいい。だから、今日はそれを彼に伝えられたらいいな、と思った。買い物を終えて同じ道を帰るときも、彼はまだ作業中だった。小雨が降り出したけれど、よしっ!と思い、「雨の後は仕事がしやすいですね」と声をかけた。それからひとしきり園芸の話をし、「これ以上邪魔しませんからね~」と、私は家の方に向かった。いつも挨拶はしていたけど、ちゃんと話をしたのは初めてだった。

森の中は新緑が美しい

途中、パン屋さんに寄る。軒先に出された一組のテーブルには見慣れた姿が…。何とかテリヤみたいな小さな犬を連れ、帽子を被っていつも自転車で走り回っているひげのおじさんだ。小沼のほとりにあるBBQ用の場所で1人で火を起こしてお昼を食べていたり、近くのスリランカ料理屋で夕食を取っていたり。私は村の中を歩き回っているので、彼もあちこちで見かける。これまでやっぱり挨拶しか交わしたことはなかったけれど、彼が店に入ろうとしていた私の顔を見直して、「お元気ですか?」と話しかけてきた。テーブルの上にはクロスワードパズルを広げている。ここでも少しお天気の話やらをしてからパンを買って別れを告げた。

子どもがおらず、翻訳という孤独な作業をずっとしているからなのか、元々こういう性質なのか、人と知り合いになり、路上でちょこちょことおしゃべりできるのが嬉しい。今日は一挙に2人と話をした。以前住んでいた場所では、みんな車で移動していたので、歩く人と出会う機会はほとんどなかったけれど、ここでは気さくに話をする機会が少なくない。ほくほく。

家から徒歩30分くらいのところにある湿地帯は今が一番きれい