6月半ばに義母がこの世を去った。がんの診断を受けてからわずか2カ月。84歳の高齢で、その前から食事の量が格段に減って体力がなかったため、医師は手術をしないという判断を下し、義母も受けないと断言。放射線治療と抗がん剤治療を始めたが、これも体力がなさ過ぎて始めるや否や中断が続き、結局痛みを和らげることのみに専念する日々を送った。
若い頃から、子どもにも健康な食事をさせ、晩年もかなりの健康オタクだったので、不調を聞いても、私は義母に限って大病はないとまったく心配していなかった。診断を聞いて驚いたが、本人のショックはかなりだったはず。それなのに、義母は最期まで平静で、声もほとんど出ないのに冗談を言って看護師や私たちを笑わせた。
2人だけで過ごす時間はほとんどなかったけれど、いつもいつも気にかけてくれ、誰に対しても感謝の言葉を忘れることがなかった。一時は死相が表れていた顔も、最期は義母らしい顔に変わり、安らかな表情になっていた。義母の最期に付き添い、事務的なことから最期の生き方まで、いろいろなことを学んだ。私も義母のような死に方をしたいと思った。
こんな日々を送る一方で、稀なロケ通訳の仕事をいただき、こちらもこちらでいろいろと勉強をさせてもらった。大掛かりなロケ隊で、コーディネーターはとても大変だったと思うけれど、素晴らしいチームワークで無事終了。テレビ番組の制作プロセスを少し覗き見ることもでき、楽しい日々を過ごさせていただいた。
もう30年くらい前になるけれど、一度北海道テレビのロケのコーディネートと通訳をさせていただいたことがある。そのときもかなりハードなロケだったけれど、みなさんとてもユーモアがあり、笑いっぱなしの楽しい時間を過ごした。その時にディレクターの方が「こうやって笑ってなきゃ、とてもやっていけません」みたいなことをおっしゃっていた。
スイスのテレビの業界人がどんな風に仕事をしているのかはあまり知らないけれど、この「大変な時には笑う」というのは日本人特有の知恵というか、長所ではないかと思う。大変だからこそ、辛いからこそ、みんなで笑う。
義母を囲んだ私たちも、病室でいつも冗談を飛ばして笑っていた。夫や義妹はスイス人だけど。
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