月: 2025年7月

冷夏よ、終われ

6月は半ばから猛暑が続いた。7月に入ってからというもの、気温はずっと20度を少し上回る程度で、曇りや雨の日ばかり。おかげで水不足や乾燥はなくなったものの、今度は逆に川の水があふれ出たり、土砂崩れが起こったり。でも、この気象の気まぐれも、もとはと言えば私たち人間のせいなのだ。

庭のアジサイは夏は白い花が美しく、だんだんとピンクがかって秋には赤から茶色に変色するのだけれど、今年はもう7月からイチゴミルクに変わり出した。

数日前から、朝には靄が地上を覆い出している。もうすっかり秋の気配だ。まだ8月にもなっていないのに。来週半ばからまた気温が上昇しそうだが、ぜひ夏に戻ってきてもらいたい。スイカもまだ一回しか買っていないし…。

先月のテレビの仕事に続いて、今度はスイス映画の字幕監修をさせていただいた。映像の(冷)夏だ。字幕翻訳はよくさせていただいているけれど、日本の映画館で上映される映画の字幕に接するのは初めてで、ここでもいろいろと勉強になった。翻訳は本当に奥が深い。だんだんと存在感が大きくなってきたAIだが、生身の人間の感性がなければできない翻訳や通訳もまだまだあると実感した(冷)夏。

学びの初夏

6月半ばに義母がこの世を去った。がんの診断を受けてからわずか2カ月。84歳の高齢で、その前から食事の量が格段に減って体力がなかったため、医師は手術をしないという判断を下し、義母も受けないと断言。放射線治療と抗がん剤治療を始めたが、これも体力がなさ過ぎて始めるや否や中断が続き、結局痛みを和らげることのみに専念する日々を送った。

若い頃から、子どもにも健康な食事をさせ、晩年もかなりの健康オタクだったので、不調を聞いても、私は義母に限って大病はないとまったく心配していなかった。診断を聞いて驚いたが、本人のショックはかなりだったはず。それなのに、義母は最期まで平静で、声もほとんど出ないのに冗談を言って看護師や私たちを笑わせた。

2人だけで過ごす時間はほとんどなかったけれど、いつもいつも気にかけてくれ、誰に対しても感謝の言葉を忘れることがなかった。一時は死相が表れていた顔も、最期は義母らしい顔に変わり、安らかな表情になっていた。義母の最期に付き添い、事務的なことから最期の生き方まで、いろいろなことを学んだ。私も義母のような死に方をしたいと思った。

庭から見る夕暮れがまた美しくなってきた

こんな日々を送る一方で、稀なロケ通訳の仕事をいただき、こちらもこちらでいろいろと勉強をさせてもらった。大掛かりなロケ隊で、コーディネーターはとても大変だったと思うけれど、素晴らしいチームワークで無事終了。テレビ番組の制作プロセスを少し覗き見ることもでき、楽しい日々を過ごさせていただいた。

もう30年くらい前になるけれど、一度北海道テレビのロケのコーディネートと通訳をさせていただいたことがある。そのときもかなりハードなロケだったけれど、みなさんとてもユーモアがあり、笑いっぱなしの楽しい時間を過ごした。その時にディレクターの方が「こうやって笑ってなきゃ、とてもやっていけません」みたいなことをおっしゃっていた。

スイスのテレビの業界人がどんな風に仕事をしているのかはあまり知らないけれど、この「大変な時には笑う」というのは日本人特有の知恵というか、長所ではないかと思う。大変だからこそ、辛いからこそ、みんなで笑う。

義母を囲んだ私たちも、病室でいつも冗談を飛ばして笑っていた。夫や義妹はスイス人だけど。

春の花が咲き終わり、ひまわりが満開を迎える