月: 2023年5月

古い仲間の顔から

新年早々、義母がチューリヒ市の真ん中から町外れの住宅街に引っ越した。我が家から車で新宅へ行くときに、丘の上のこじんまりとした住宅街を通り過ぎる。そのときよく、30年前に知り合ったハンサムな黒人青年のことを思い出す。と言っても、ロマンチックな出会いではなく、それぞれ結婚してスイスに住むことになり、ドイツ語習得のために通い出したドイツ語学校のクラスメートだった。10人くらいいたクラスメートの家をかわりばんこに訪れてワイワイとランチや夕食を楽しんだ。

今思えば、本当に国際色豊かでいろんな話を聞けた。黒人の彼はアフリカ出身、イラク出身の男性もいたし、オーストラリアやアメリカ出身の女性、ギリシャの女性もいた。今も付き合っているのは日本人女性1人だけになってしまったけれど、彼ら彼女らが住んでいた場所を通り過ぎるとその顔が脳裏に浮かび、「今、道端ですれ違っても、もうわからないだろうなぁ」とふと思ったりする。


黒人の彼は私に向かってこう言ったことがある。「黒人と知り合うのは初めてでしょ」。確かにその通りだった。その頃はドイツ語圏スイスで黒人を見かけることはほとんどなかった。彼は身を守るためにいつも飛び出しナイフを持っていて、一度それを見せてくれた。怖いなぁと思ったけれど、それが現実だった。アジア人女性に対する偏見もあったが、黒人に対してはもっと風当たりが強かっただろう。背が高く、がっしりしていた気がするけれど、街中でもいつも身構えていたのかもしれない。そんな彼も、今は灰色がかった、昔なら無精ひげと呼ばれていたひげを伸ばしたりしているのだろうか。

菜の花畑と新緑が美しい季節
近所のヒツジ

フランス語圏では以前から黒人が多かった。チューリヒ近辺でも今はエリトリアなどからの難民を多く見かける。おらが村にある、ある基金が経営している小さな有機青果店でも一人、エリトリア出身の若者が見習いをしていて、来週卒業試験があるという。見習いにもかかわらず、いろんなことを任されているようで、仕事もてきぱきし、これからどんどんスイス社会で活躍してくれそうだ。彼から一度、チューリヒにあるアフリカレストランを紹介してもらって友だちと行ったこともある。

聞いていいかなぁと思いながら「エリトリアに一時帰国できるの?帰りたい?」と尋ねたら、「帰っちゃいけないし、帰りたくもない」と言う。もっといろいろと話を聞きたいところだけれど、時代に即しない、バーコードもなければ自動で支払金額やおつりが表示されることもないレジにいる彼と長話はできない。

今は人種差別に関する大きな事件はあまり耳にしないが、水面下の現状を扱う記事が増えている。特にハーフや移民などの若者は今もって根強く残る差別に連携して対抗するようになっていて、当事者として社会に問題提起をし始めている。それだけ人種のるつぼの中身が濃くなっているのだろう。それはそうだ。これだけ交通が発達し、情報の伝達が発達したのだから、人の移動が密にならない方がおかしい。そうして人の交わりも密になって、50年前にはほとんど存在しなかった他国の人々が増えていく。それは今の発展の中では当たり前のことだろう。それにともなって、昔を懐かしむ排他的な人も増えている。人種差別は根も奥も深い。人は差別をしたがる生き物なのだとも思う。そんな本性に優る知恵もあるのにね。

スイスにも行者ニンニクがある。水辺や森の中によく生えている。週末歩いた森の中には一面行者ニンニクだらけの場所があった