年の瀬にもの思う

ある人からのクリスマスメッセージに、ラファエロの絵画を観ながら、これまでの人生のこと、残された時間のことなどをいろいろ考えたと書かれていた。私より少し年下の、スイスに住む日本人女性。そんなことを考えているのが、自分一人ではないことを知って、「ああ、やっぱり、そうなんだ」と思った。

別に不治の病にかかっているわけでも、落ち込んでいるわけでもないけれど、体のあちこちに老化現象が出始めたせいか、何でもない日常を楽しもうと思う気持ちが強くなっている。ひょっとしたら、近い未来に目が見えなくなったり、耳が聞こえなくなったりするかもしれない。そしたら、朝焼けも夕焼けも、満月も流れ星も、虹も見えなくなる。大好きな雨音や鳥のさえずりや、ルーシャのゴロゴロとのどを鳴らす音も聞こえなくなる。そう思うと、雨の日の外出も苦ではなくなる。少しくらいの不便は我慢できる。いずれ、それができなくなる日が来るかもしれないと思うと。

オーロラのような朝焼け

きっと、恵まれているのだろう。

環境保護が声高に叫ばれている昨今、地球が悲鳴を上げている昨今、本当に大切にしなければならないのは何なのか。クリスマス商戦に沸く世の中を見ていても、何だか虚しい。ネットでおお目に注文をした顧客が返品したものをすべて処分してしまう世の中。クリスマスのご馳走は、普段でも食べられる世の中。ブランド品に身を包み、ないものはない子どもたち。遊び道具は庭に転がしたまま。

私たちが育った昭和の半ばはまだ貧しかった。でも、それを体験したのは貴重だったと思っている。モノを大切にできる人間でなければ、地球はきっと救えない。大人になって、そのことが分かる人間に、今の子どもたちはなれるだろうか。

もっと昔の人たちは、大人になった私たちを見ていてもため息を漏らすのかもしれないけれど。

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