チューリヒ州が夏休みに入って2週間が過ぎた。わが住宅街も、子どものいる家庭はどんどんバカンスに出かけていったようで、目の前の原っぱから子どもたちの姿が消えた。学校の校庭も閑散としている。雨の日でも雪の日でも、子どもたちは元気に校庭を走り回り、遊具で遊び、ワイワイとにぎやかなのに。そんな姿を見るたびに思うのは、原発事故の後、外で遊べなくなった子どもたちのことだ。被災者に心を寄せる人は、情報が全く入ってこないと嘆いている。苦しい、不安な毎日を過ごしているのに、心情を吐露できない雰囲気が漂っているというのは、二重の苦しみに違いない。みんな、それぞれの心配ごとを抱えて生きている。それなのに、社会が分断してしまうのは、とても悲しいことだと思う。
日本は最近になってようやく夏らしくなった、とある人から聞いた。こちらは先週、また30度以上の日々が続いていた。庭の花たちの元気がなくなりかけたころ、待望の雨が降った。昨日の日曜日は1日中雨だったけれど、本当に恵みの雨だった。庭がなかったころは全然思いもしなかったけれど、毎朝花畑やハーブ畑を見て周る習慣がついた今は、気候への関心が増した。
雨は降らないのに、日本でもよく知られている山間の町ツェルマットは、先日洪水に見舞われた。連日の猛暑で氷河が大量に溶けたせいだ。今ですらもうこんな状態なのだから、数年後、数十年後はどうなっていることか。その前に義妹宅で家族が集まった際、温暖化や環境の話になり、中学生の甥っ子が「僕たちが生きている間はまだ何ともないからね」とふと漏らした。私はそれを聞いて「だから?何もしなくていいの?」と思わず声を大きくして言った。大人がみんな「そうだよ」と同意したので、甥っ子は黙ってしまった。今、ヨーロッパでは生徒たちが温暖化デモを盛んに行っている(今は夏休みで中断?)。私はこれを、頼もしくも、もしかしたらただのトレンドで終わってしまうのではないかと、ちょっと斜に構えて見ている。嫌な奴?でも、世界中で起こっている異変を見て怖くなるのは、私一人ではないはず……。
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