リーノとルーシャと一緒に暮らすようになってから、夫と二人で外泊をしたことがなかった。今までの気楽な生活とおさらばして、猫ドアをつけてもらっていない二匹の面倒をみるという義務を背負ったからだ。寂しそうな顔をして廊下に立ち尽くすルーシャを見ると、どちらにしてもあまり外に出られなくなるけれど。リーノの方は……と脱線しそうになるのを押さえて、まずは久々の1泊旅行について。
行き先は、在スイス日本人の間で「サン森」と呼ばれているサンモリッツ。仕事がらみの旅行だった。ここまで電車で日帰りするのはたいへんなので、夫に声をかけてみたところ、週末に車で日帰りで行くことになった。ありがたや。
イースター休暇の始まりに家族を呼んでいたので、ついでに義母に泊りがけで二匹に餌をやってもらえないか聞いてみたら、OKが!! ありがたや、ありがたや。義母はうちに2泊して、立派に務めを果たしてくれた(ちょっとオーバーかも)。去年の終わりに長年連れ添ったパートナーを亡くし、1人で街中で暮らす義母はもともとフレキシブルな人で、あれやこれや口出しすることもなく、なんというか、一緒にいても全然疲れない。あ、また脱線したかな。
というわけで、久々の1泊旅行に出かけた。チューリヒ近辺はもう春の兆しがあちこちで感じられるのに、サン森は標高1700メートル以上のところにあるのでまだまだ真冬。私たちが出かける前夜から峠では雪になり、サン森につながる峠道が順調に閉鎖されていった。遠回りをして車で行くこともできたけれど、いずれにしてもイースターで南に向かう道路はきっと混んでいるはず。と読んだ夫は大正解で、雪も混じって高速道路は大混乱だったもよう。私たちはおそらく初めて電車でサン森へ。行きも帰りも電車はそれほど混んでおらず、車ばかりで電車慣れしていない夫もご満悦だった。
この町(と呼んでいいのか)には何回か行ったことがある。でもいつもちょっと寄り道する程度。今回初めて町(?)の中を歩き回って思ったことは、「人工的で冷たいなぁ」。ここは高級リゾート地。以前ときどきテレビに出ていたジェットセッターも見かけた。高級ショップが軒を並べているけれど、街並みはなんだか統一感がない。グラウビュンデン州の伝統的な建物は大好きだけれど、ここには「わあ~」と思う街並みがない。
夫が選んだ三ツ星ホテルは、豪華なパレスホテルと並ぶ由緒あるホテルだった。歴史を思わせるオブジェや明らかに人の手が作った内装が、ここでは新鮮に見える。帰り際にフロントでふと目に付いた一枚の絵には建築当時のホテルが描かれていた。今や四方を建物に囲まれているこのホテルは、当時、緑の斜面の真ん中にぽつんと建っていた。フロントのドイツ人女性が「ここにはもう20年いるけど、その間に建てられた建物といったら…」とまゆをひそめる。
でも、ここサン森には時おりメールのやり取りをするおもろい関西人が素敵なキャンドルショップを開いていて、今回もそこを訪ねて気に入ったキャンドルをいくつかゲットした。郷土博物館のエンガディン博物館でも素晴らしい伝統工芸を見た。セガンティーニ美術館にももう一度行きたかったけれど、時間切れ。何でも屋みたいな、いかにも観光客向けのレストランで食べたこの地域の名産パスタ、ピッツォケリもおいしかった。おそらく今シーズン最後の雪の中を歩き、凍った夜の湖に高く浮かぶきれいな満月も見た。
最後に大笑いしたのが、帰りの電車を待っていたまだ人影もまばらな駅のホーム。朝10時前の電車に乗ることにして、ホームにすでに入っていた電車を目の前に、少し日が差してきたので日光浴もどきをしていたら、あらら、まだ時間じゃないのに電車がガタンゴトンとホームを出ていく。すでに乗り込んでいた人もいた。「よかったね~、まだ乗らずにいて」と言いながらも、おかしいなと思っていたら、コーヒーを片手に男の人が地下通路から出てきて、狐につままれたような顔をしている。夫が「彼の荷物、電車の中なんだよ」とささやく。そばにいた私たちと「車両整備の人がいたら聞いてみたら」とかなんとか話しているうちに、私は「機関車が最後に出ていったから、きっとあれを先頭につけるためにいったんホームを出たんじゃないかな」と思いついた。そんな話をしていたら、きたきた。電車がちゃんと戻ってきたのだ。電車の中で彼を待っていた家族が窓から嬉しそうに手を振っている。奥さんのためにコーヒーを買いに行った彼は、無事家族の元に戻った。「そう言えば、今日は4月1日だね」と言ってみんなで爆笑したのだった。
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