金曜日の夜、チューリヒ市内で行われた震災3年に関するイベントへ行ってきた。福島県伊達市に住む人々を追った記録映画と、チェルノブイリの映画、そしてパネルディスカッション。珍しく一緒に行くと言った夫が残念ながらインフルエンザにかかり臥せてしまったので、一人で行ってきたのだが、家に帰った後、やっぱり行ってきてよかったと思った、そんなイベントだった。
伊達市の人々の記録映画は「A2-B-C」と題された、在日米人監督イアン・トーマス・アッシュさんの作品。この夜は監督もいらしていて、映画を上映した後、すごく聞きやすい英語で、物静かに現場の様子を語ってくださった。日本在住12年。堪能な日本語を使い、通訳なしで撮影。おそらく日本のマスコミは一切報道しないと思われる現地の方々の本音がたくさん詰まっている。
原発問題、被曝問題はとても複雑な問題だ。感情の占める割合も大きい。たぶん大部分の人が心に秘めた「不安な要素は頭から追い払って普通に暮らしたい」という気持ちもよくわかる。でもそれは「ただちに」影響が出ていないからではないだろうか。そんな流れに杭を差し、長期的な視野で国民を守るのが政府の役目ではないのだろうか。
パネラーの一人で福島を訪れたことのある医師マルティン・ヴァルターさんは「基準値は決めずに、避難したい人には避難をさせる。リスクを理解した上で残りたい人は残る。そして、避難した人には国が生活の保障をするべきだ」と話した。私もその通りだと思う。不安は福島だけに限られているわけではない。原発を推進するならば、そこまでの責任を関係者は負うべきだと思う。
自らの健康を害するというリスクを負いながら、今も、そしてこの先何十年も、数え切れないほど多くの人々が福島第一原発の後始末をしなくてはならない。人材の確保は困難になる一方だろう。福島県以外でも復興は遅々として進んでいないようだ。地元の人に屈託のない笑顔が戻るのはいつのことだろう。原発の中で働く作業員の方々に感謝し、そして被災地の方々に幸せな時間が増え、福島第一原発がこれ以上毒をまき散らすことのないようにと毎晩手を合わせている。日本がこんなことになるなんて、今でもまだ信じきれない。
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