震災後を伝えることはむずかしい

東日本大震災後、半年くらい経ってから、東北の被災状況や福島第一原発の状況をつたないドイツ語で伝え始めた。震災当時はこちらでもテレビニュースの半分くらいが震災や原発事故に関するニュースで占められていたが、その量は徐々に減り、半年くらいでほとんど報じられることがなくなったからだ。

情報源は日本の新聞。状況が刻々と明らかになりつつあった当時は、ネットにもさまざまな情報があふれていた。原発事故だけでなく、津波の被災地の様子や支援について「書こう」と思うことがたくさんあった。

今、2年半が過ぎ、日本の多くの土地では、津波で甚大な被害があったことや福島原発が今でも決して安心できる状態ではないこと、東北の人々はまだまだ心安 らかな日を送れないでいることがすでに忘れ去られているようだ。目の前には自分の毎日の生活があり、放射線におびえて過ごすより楽しいことを考えて暮らし たいという気持ちは、日本の外で暮らす私にも理解できる。でもこれは、やっぱりそうして済ませられる問題ではないのではないか。特に原発事故はもはや日本だけの問題ではないだろう。

東北の現状を伝えたい。原発にまつわる話を伝えたい。そう思いつつも、最近は何を伝えるべきなのか、何を伝えたいのかが少しわからなくなってきた。特に津 波の被災地の状況は、自分で見聞きしないとわからない。現地の新聞が伝える復興の様子も、それを事実として受け止めるだけで、それが何を意味するのか、そ の背後で人々が何を考えているのか、私にはわからない。

こちらの人々の関心はやはり原発に集まっている。だから余計、津波の被災者、被災地についても書いていかなければと思う。でも、時間が経つとともに人々の 心境もきっとより複雑になり、人によって、地域によって、さまざまに異なる思いが渦巻いているに違いない。ネットの情報だってすべて鵜呑みにできるわけで はないし。

来年の春にはまた東北を訪ねたい。そのときにはまたきっとたくさんのことを感じ取れるだろう。そして、少しでもまたその様子を伝えられることを願う。

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