日本から戻ってはや1週間以上が経った。いろいろと用事がある中で、東北の被災地を周った記録を早くアップしなければという焦りが消えない。大勢の方々の 力添えがあり、郡山、気仙沼、陸前高田、大船渡、釜石と、駆け足ではあったけれど、たくさんの人と話し、多くの真心を感じ、涙し、笑った。
東北には1年前から行きたいと思っていた。あのような未曾有の大災害の傷跡を、1人の日本人として、自分の目で見て自分の体で感じ、記憶にとどめておかなければならないと思ったからだ。
被災後すでに1年以上経ったかの土地は、まだ何もないままだった。最初に訪れた気仙沼で、1日自転車を駆って、1人廃墟の中を走り回った。内陸深くまで流 された大きな船の前にお供え物があり、そこで冥福をお祈りしていたら、とうとう涙を堪えられなくなった。あまりにも多くの人々が命を落とし、あまりにも多 くの大切なものが消えてしまった。
どの町でも、一目でよそ者と分かる私に、たくさんの人が親切にしてくださった。陸前高田を案内してくださった地元の女性は「被災後だからじゃありません。みんな、いつでもそうなんですよ」と笑う。素敵なことだ。
彼らへのお礼は、ここで見たこと、聞いたこと、経験したことをドイツ語圏に伝えることだと思っている。これまでに、陸前高田までの分をアップした。ドイツ語なので、書くのに時間がかかる。
インターネット・エクスプローラー以外のブラウザーではレイアウトが崩れる可能性があるけれど、スライドショーも作っているので、関心のある方は写真だけでもぜひご覧いただきたい。http://koyama-luethi.ch/web/blog-fukushima/
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