その後も、身障者との交わりは続いた ― というほどのものでもないが、ツェルマットから帰ってボ~ッとしていたある日、ドアのベルが鳴った。のぞき穴か ら見ると、女性が一人立っている。知らない人のようだけど、お隣さんが何やらざわざわしているからその関係かな?とドアを開けてしまった(あとで夫に怒ら れる)。
そこにいたのはまだ20代と思しき女性。「???」と思っていると、まず「私は言語障害を患っています」とドイツ語で言う。それからプラスチックにプレス された紙を渡す。そこには「言語障害のため仕事が見つからず、自分で作ったカードを売っている。あなたにも、あなたの隣人と同じようにこのカードを買って欲しい」というような主旨のことが書かれていた。
「隣人と同じように」というセリフにちょっと「ン!?」と思ったことも手伝ってか、私は彼女にとても失礼な発言をしてしまった。「あなた、手話って知って る?」と聞いたのだ。そのとき彼女は知らないと首を振ったが、「私、手話を勉強したの。あなたにも役立つんじゃないかしら」と言ったら、少し怒ったように 「私はしゃべることができるんです」と言う。そうだ、確かに。それに、手話を習っても職を見つけるのに役立つとも思えない。私は恥ずかしくなって素直に 謝った。そのあと彼女は「じゃあ、カードを見てもらえますか?」と聞くのだが、私はしばらく考えてから断った。
この失敗は尾を引いて、読みかけの新聞に目を戻しても、彼女の言語障害のことが頭を離れなかった。彼女たちはいったいどんな職種につくのだろう。どんな毎 日を送っているのだろう…と。でも、ここでカードを買っても、それが彼女の根本的なヘルプになるとは思えない。彼女が嘘をついているとは思えないけど、個 人的な訪問販売ではやっぱり何かを買う気にはなれない。かといって、大規模な組織に寄付をしたところで、自分のお金が本当に困っている人の元へたどり着く のかも疑問だが。これは永遠に続くジレンマだろう。
それからしばらくして、日本へ一時帰国する友人とチューリヒ空港で束の間のおしゃべりを楽しんだ。ひとみさんを紹介してくれたMさんだ。そのとき、この話やツェルマットでの体験談を持ち出し、話題は身体障害へと移っていった。彼女の義理のお母さんももう長い間看護士などのお世話になっているそうだが、Mさんが言った。
「障害者を世話している人にはみんなが『えらいね、たいへんね』っていうけど、時にはいやな人にも頭を下げて世話をしてもらわなければならない障害者の方がたいへんじゃないかな」
その通りだと思う。これと似たようなことをブライトホルンに登った井出君もブログに書いている(http://kyouga-world.cocolog-nifty.com/blog/)。障害者の気持ちは、実際に自分が似たような障害を負わなければわからない。まあ、これは障害に限らずなんでもそうなんだろうけど。