月: 2006年7月

初めての、貴重な体験

とても貴重な経験をした。

鈴木ひとみさんという方をご存知だろうか。元ミス・インターナショナル準日本代表に選ばれ、その後ファッションモデルやCMなどで活躍していてこれからと いうときに交通事故に遭い、頚椎を骨折して下半身麻痺になってしまった人だ。彼女の運命は、ずっと前に「車椅子の花嫁」というテレビドラマにもなっている (ひとみさんのHP: http://www.h2.dion.ne.jp/~hitomi-s/)。

実を言うと、私は彼女のことをまったくと言っていいほど知らなかったのだけれど、友人から彼女のアシストをやってみないかと声をかけてもらって即答し、今 回1週間ほど彼女と一緒に過ごしたのだ。スイスの田舎町で障害者の射撃世界大会が開催され(今日が閉会式だったはず)、ひとみさんもそのメンバーに選ばれ たための来瑞だった。

日本の代表チームは監督やアシストも含めておよそ15人。みんな手か足に障害がある。私はこれまでそういう身障者とほとんど縁がなかったので、車椅子の押 し方から習うといった有様。ましてや、射撃のことなんかこれっぽちも知らないのだけれど、ひとみさんは根気よくていねいに一つひとつ教えてくれた。ほかの アシストの人も快く手を貸してくれたし、選手の皆さんもみんな優しい人ばかり。どちらに障害があるのかわからないといった感じだ。

頚椎を骨折した人はほかにも何人かいたのだけれど、みんな汗をかくことができないので体温調節ができないという。放っておけば、体温がどんどん上がって熱 中症のようになってしまう。それだけではなく、体の一部が麻痺しているために気をつけなければならないことはほかにもいろいろある。私は、車椅子の人は足 が動かないだけだと思っていたのだけど、なんて大間違い!

大会中、スイスは異常なほどの好天、つまり猛暑に見舞われ、選手ばかりか私も暑さに疲れ果てるような状態。それでも、みんないろんな工夫を凝らしてコンディションをベストにもっていこうと努力している。そして、笑い声が絶えない。たまたま近畿以西の人間が揃っていて、関西弁が飛び交っていたところも楽し かった。冗談がもっとおかしく聞こえる。それにしても、みんな苦しい時期を乗り越えてきた人たちだ。強くて優しい。みんなの笑顔を思い浮かべると、なぜか 目頭が熱くなる。

開会式はあいにくの「時々雨」。手前の2テーブルが日本チーム

開会式はあいにくの「時々雨」。手前の2テーブルが日本チーム

私のほかに、もう一人アシストの人がいた。彼はお姉さんに付き添っていたのだけれど、このカップル(?)もまた面白い。お姉さんは以前、女優さんだったそうな。大きな目をいつもくるくるさ せて、楽しいおしゃべりをする人だ。そして、弟さんの方は神戸で大人気の占い師。私も少し占ってくれた。ものすごく真剣に。そして、私は彼のひと言ひと言 に頷かずにはいられなかった。自分が思っていることに対して「大丈夫だから、それで」と一歩前に踏み出させてくれるような感じ。幼い頃から占いばかりして いたという彼は、まさに占うために生まれてきたのかもしれない。木下博嗣(ひろし)くんは信頼できる占い師ですよ(太鼓判!)。

帰ってきたら、さすがに少し疲れが出たけれど、ひとみさんを紹介してくれた友人に即電話。射撃の世界大会も、ひとみさんの付き添いも、全部「楽しかったよ~」と言わずにはいられなかったのだ。そして、ひとみさんとの出会い。本当に感謝しています。    

お祝いが水の泡

仕事仲間兼友人のH美さんが二人目のお嬢さんを出産した。メールで連絡をもらい、昨日の金曜日、仕事も一段落ついたし、彼女にももうずいぶん長い間会って いないし、この機会を逃したらこの先いつ会えるかわかったものではないので、ぐずついた天気の中、久しぶりに私用でうちを出発。

おっとその前に、彼女がまだ入院しているか確認をしておかなくちゃ。そろそろ退院の頃だもんね。でも、大丈夫。病院に電話をしたところ、彼女はまだいると いう。部屋の電話番号も教えてくれたので、ちょっと電話してみようかな。都合が悪いといけないし、花束よりもほかに何か欲しいものがあるかもしれないもの ね。

誰かとカフェにでも出かけているのかなあ。何度かけても出ないぞ。

街に着いたとたん、大粒の雨が降り出した。折りたたみの傘を持ってきて良かった。でも、服装の選択を誤った。薄手の緑色のパンツなので、雨が当たるとすぐ に変色してしまう。みっともないなあ。さっさと歩いて大学病院へ。受付で病室の番号を聞いてから彼女の部屋のドアをノック。3人部屋らしいけど、一人しかいない。でもその彼女はH美さんじゃない。「あの~、XXさんは?」と聞くと「こっちの彼女?それともこっち?日本人の彼女なら、今朝退院したわよ」

「え~っ!!」そ、そんなバカな・・・。ちゃんと電話で確認して、下の受付でも部屋番号を教えてくれたのに。これじゃあ、いくら部屋に電話しても出ないはずよね・・・。

怒りながらナースセンターへ行き、「こうこうこうで、こうなんだけどっ!」と抗議した。優しそうな看護婦さんは「ごめんなさいねえ。たぶん、あなたが電話 したとき、ちょうどXXさんが部屋を出る頃だったのかもね。下の受付までその連絡が行くのに時間がかかるのよ・・・。悪いけど、お見舞いなら彼女のお宅ま で行ってもらえないかしら」

何ですってぇ~!あなたにそんなことを言われる筋合いはない!行きたいのはやまやまだけど、退院したその日に行けるぅ?私だって仕事の合間を見て出かけてきたのに。チューリヒまでバスで15分のところに住んでいるからいいものの、これが電車で3時間も4時間もかかるところに住んでいる人だったら、どうするの?それでも「ごめんなさいねえ」の一言で済んじゃうの?

かといって、もうどうすることもできないので、花束を持ったままおとなしくエレベータに乗る。受付で電話の応対をしていたお兄ちゃんにも「彼女、もう家に 帰ったって!」と言い残して出口へ。哀しい。せっかく彼女に似合いそうな花を買ったのになあ。憤懣やるかたなく、というわけでもないけれど、外に出てから H美さんの自宅に電話をした。彼女も驚いていたが、入院中はほかにもいろいろとあったよう。これから来る?と聞いてくれたけど、やっぱり辞退した。花を渡せないのが残念だけど、この数週間、私もちょっと仕事をがんばったので、これは自分へのご褒美にしよう。こんな立派な花じゃないけど、いつか切花を買いた いなと思っていたのよね、実は。H美さん、ごめん。

H美さんの手に届かなかったバラたち

H美さんの手に届かなかったバラたち