手話とドイツ語と

手話を習い出してしばらくすると、どうしても手話通訳の教育を受けたくなった。もっともっと手話が上手になりたかったし、聴覚障害者の背景も勉強できると 思ったからだ。でも、4年間続くこの教育は3年だか4年だかに一度始まるだけ。次のコース開始は2006年の秋である。無事教育を終えたら、私はもう45 歳を過ぎている。

とにかく、2年半かけて条件の一つである手話コースをすべて終えた。あとは会話コースに通って入試までほそぼそと手話を続けることができるが、これはやめ ることにした。毎週毎週、水曜日と木曜日の夜、留守にするのに少し疲れたこともある。夕食の準備を前もってやっていくのって、けっこう時間の制限を受ける のだ。毎日すごく忙しくしている人なら、こんなこと、なんてことないのだろうが、もう老人ホームにでもいるような生活に慣れてしまった私はちょっとうんざ り。とりあえずは、今年の11月まで続くドイツ語のコースと5月から始まるコミュニケーション・アシスタントのコースだけにしておくつもり。

-と決心したところに、突然舞い込んだ情報があった。4月の後半から今年いっぱいまで、手話通訳を目指す人を対象に特別手話コースが始まるというのだ。でも、それはドイツ語コースがある木曜の夜。ええ~っ。いじわる~。

ほんのちょっとの間、悩んだ。でも、やっぱりいまはドイツ語を再勉強する時期なのだと思う。手話の方は、自分でもやろうと思えばまだできる。通訳というか らには、きちんとしたドイツ語が話せなければ、それこそお話にならない。ドイツ語と日本語の通訳なら、まだ「外国人のドイツ語」で許してもらえるかもしれ ないけれど、聴覚障害者と健聴者の間に立ったら、そんな悠長なことは言ってられないのだから。

どちらにしても、手話通訳コースの入試にはドイツ語の試験もあるし、前回の入試には定員30人のところになんと300人もの応募があったそうだ。思わず 「ひえ~っ」と叫んでしまった。まさか、そんなに希望者が多いとは…。それじゃあ、私なんかダメだろうな、と最近はちょっとひるんでいる。スイスドイツ語 ができなきゃダメ、という条件も、はっきりとは書かれていないけれどあるようだし。

そんなこんなで3年間、いろいろと考えているうちに、いまではとりあえず入試だけは受けてみて、ダメならダメであきらめよう、という気持ちになっている。 人生、やっぱりなるようにしかならないんだ。こんな風に考えられるようになったのは、「もしかしたら、私の課題は手話通訳になることじゃなくて、日本とス イスの聴覚障害者の橋渡しをすることかもしれない」と思い始めたから。大好きな翻訳と関心のあるろうの世界の組み合わせ。

実は、この手話コースを始める前にちょっとした不思議な出来事があった。手話は最近人気が出ていて、申込者全員が受けられないこともあると聞いていた。通 知は全然来ない。やっぱりダメなのかなあ。それじゃあ、もう一つの楽しみ、日本の大学の通信講座で日本の古典をもう一度勉強しなおそうっと。これもずっと やりたかったことだ。でも、楽しみなはずなのに、なぜか心は重い。手話のコースに通えないということで、何か良心がズキズキと痛むのだ。コースに行けない のは私のせいじゃない、私にはどうしようもないのに、行けないことがひどく悪いことのように思えてしょうがなかったのである。どうしてか、いまだにわから ない。でも、ひょっとしたら、大げさに言ってみれば、私はこういう方向に進む運命に定まっていたのではないかという気がする。だから、その運命に逆らうか もしれないと考えた精神が動揺したのかもしれない。そのあとにも、運命的といっていい出会いや流れがいくつかあった。今は、この流れに身を任せようと思 う。

いまの目標は、山本おさむ氏の漫画『わが指のオーケストラ』を独訳して出版すること。数週間前から行動を起こし始めたが、想像していた通り、なかなかむず かしい。でも今日、一つポジティヴな返事をもらった。まだまだ実現にはほど遠いが、とりあえず具体的な相談をできる人が見つかったのである。このことがう れしくて、ついこんな長々としたエッセイを書いてしまった。

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