去年辺りから日本人の人とたくさん知り合うようになった。15年もスイスに住んでいて今ごろ何言ってんの、と言われるかもしれないが、本当にそうなのだ。 スイスに来た当時はドイツ語を勉強しなきゃとやっきになっていて、どちらかというと日本人を避けていたので、ときどき会っておしゃべりをする人を数えると いまでも10本の指で収まってしまう。でも、これだけいたら十分かな、やっぱり。チューリヒ近辺に住んでいるからこそ日本の方と知り合うチャンスも多いけれど、田舎の方に行くとなかなかそうはいかないらしいし。
スイスの日本人社会は狭い。日本と違うところは、苗字ではなくて「千早さん」とすぐに名前で呼ぶようになること。それだけ仲間意識も強いんだと思う。私がこれまでに知り合ってきた人は、運がいいことにみんな一緒にいて楽しい人ばかり。外国で暮らしている分、芯はみんなしっかりしている。物事もどちらかとい うとはっきりと言うかな。「スイスに行ったら、日本語はもう話せないかも」なんて思いながらやってきたから、拍子抜けしたところはあるけれど、日本人の友人には知らず知らずのうちに精神的にすごく助けられているんだと思う。
最近知り合った方々は、ほとんど仕事を通じて。その中で二三度、翻訳の校正をやったりやってもらったりということがあった。お互い知らない者同士なので、 まずはメールで簡単な自己紹介をするのだが、これから当分一緒に仕事をするのだから、本来なら電話できちんと自己紹介をするべきである。であるのだけれど、私にはその勇気がない。もともと電話があまり好きではない上に、校正というちょっと微妙な仕事となると、相手がどんな人なのやら怖くて電話できないのだ。でも、これまではいつもありがたいことに、いや恥ずかしいことにパートナーの方から電話をしてくださった。話せばなんてことはない、みんなフツーの人である。誰も「何よ、あんな直し方することないでしょう!」とか「あなたの訳文、使い物になりませんよ」なんてこと言わない。怖いことなんて全然ない。電話でどんどん話が弾む。
翻訳をやる人の中には、自分の訳に手を加えられるのを嫌がる人が多い―ということをよく聞く。その気持ちはわかるが、自分で書いた文章というのは絶対に客観的に見ることができないから、とくに原文に引きずられやすい翻訳には校正は必要だと思う。でも、その校正も決して簡単な仕事ではない。私がこれまで感じ てきたことは、翻訳も通訳も、そしておそらく校正に対しても、あまりにも軽く見すぎている人が多いんじゃないか、ということ。少し語学ができれば誰にでもできる作業だと思っている人が多い―そんな気がする。これは日本人だけには限らない。たぶん、世界中がそうなんだと思う。翻訳も通訳も校正も、全部切り離 された仕事でそれぞれまったく別の能力を要する。私が知り合った人は、みんなそれを理解している。運が良かったのかな。