GWも休暇も終わり

忙しかった、今回の帰国。いや、いつもかな。

GWの始まりとほぼ時を同じくして羽田に降り立ち、その日の夜に以前大ファンだったチューリップのコンサートへ行った。まさか、もう一度行くことになるなんて思ってもいなかった。財津さんの声は出にくそうだったけれど、もう安部さんはいないけれど、そして吉田さんも戻ってこないけれど、私の大好きな曲を、知られざる名曲を、あのときのまま、いくつも聴かせてくれた。3時間近くも楽しませてくれた。あの懐かしい、甘酸っぱい気持ち。音楽って不思議だ。

その後は、甥っ子の結婚式。微笑ましい結婚式だった。新郎新婦の思いがよく伝わってきた。これからもいろんな悩みに襲われるだろうけれど、みんなみんな、幸せになって欲しい。残るは、妹の息子たち。楽しみはまだある。

そして、やっぱりもう一度行くことになるなんて思ってもいなかったグアムでの休暇。日本から意外と近いことがわかったので、実家をバタバタと後にして南へ向かい、強風に吹かれ、30度以上の灼熱にさらされてきた。前回行ったのはもう40年も昔の話。あのときは、夜、友だちと二人でハンバーガー屋に入ったら、周りが巨大な黒人ばかりでちょっと怖い思いをした。今回行ってみると、見事にアジア人ばかり。お店の看板も日本語やら韓国語やらで書いてある。ここがアメリカだということを忘れてしまいそうになるほどアジアがあふれていた。

でも、海は思っていた以上に美しかった。北のリティディアンビーチは車がないと行けないこともあり、人影もまばら。喧騒を避け、私たちはほとんどの時間をこのビーチで過ごした。裸眼でもサンゴや熱帯魚が見える。

そしてもう一つ、あっ!と思ったことは、これ。

そう言えば、そんなセンセーションがあった。そう、彼はグアムのジャングルに28年間も潜んでいたのだった。そのときの洞窟が今も残されていて、それを実際に見たときはいろんな思いが飛来した。たった一人で、逞しく、そしてそれなりに身だしなみを整えながら、生き続けた人。

グアムの歴史も簡単に紹介されており、初めはスペインに、そして日本、アメリカと、強国の支配下で生きるしかなかったこの小さな島に、わずかの時間思いを馳せた。

春爛漫

くしゃみがよく出る。鼻がぐずぐず、目がかゆい。でも、春の到来はやっぱり嬉しい。先週末、車を30分ほど走らせて、のどかな丘陵地帯を歩いてきた。レンギョウが萌え、森の中も緑や花が目に爽やか。小鳥のさえずりもにぎやかだったし、農地にも緑が蘇っていた。北風にも刺々しい寒さがない。 うちに戻ると、すぐ目の前に植えられた桜の木が満開になっていることに気がついた。まだまだ小さい木だけれど、毎年つける花は確実に増えている。このあとはリンゴやナシの花がきれいになってくるはず。でも、明後日はまた雪になりそうな気配。芽吹いてきたアジサイを守らなくては!

 

そろそろ「今」

カモメのような白い鳥の群れがときどき近所に現れる

この数日間は、青空で気温も10度くらいあったのに、強風のため体感温度が低く、寒かった。真冬と変わらず、毛糸の帽子に毛糸のマフラーでちょうどいい感じだ。今日はようやくその風も止み、ふらふらと外に出たくなるような好天気。商業翻訳の仕事も一段落し、10年ぶりに出版させていただくことになった翻訳書の翻訳作業以外は、今のところ何もない。あ、4月半ばの通訳のお勉強があったか。まあ、まだ少し時間があるから、焦ることもない。

通訳の仕事はどちらかというと副業的なので、受注した瞬間は何となく焦る。専門分野がないので事前の準備が何より大切で、これをやっているうちにだんだん気持ちが落ち着いてくる。やるだけのことをやったら、あとは現場で誠意を尽くして通訳するしかない、と胆が据わるのだろう。

会社勤めを辞めて6年目。体調も良くなり、精神的にもやっとゆとりが少しずつ戻ってきたような気がする。読みたいと思う本が増えてきたし、何か新しいことを始めたいと思うようになった。食指が動くのは手話とフランス語だけれど、手話は週一のコースではもの足りないし、フランス語は初心者用コースを探すのが難しい。ここドイツ語圏では、みんな義務教育でフランス語を勉強するから。それに、私は結局日がな一日文字を追って暮らしているので、何かもっと別のことをした方がいいのではないかとも思う。太極拳をまた初めてみようか。絵を描くのも昔は好きだったけれど、モノが増えることはあまりしたくないという気持ちもある。音楽ではピアノの音色が好きでいつか習いたいと思っているけれど、今興味があるのはライアー。でもこれも、近くにレンタルしてくれるところや教えてくれる人がいない。こんなふうに考えている間に、また1年が過ぎてしまいそうだ。

そんな時間の流れの速さを感じるのが、掃除中。このアパートを購入したのは2012年だった。当時は何もかも新しいから、掃除するにも気を使った。今ではその度合いはかなり減っているのだろうけれど、あの時からずっと続いている時間の中で、やっぱり変わりなく掃除をしているつもりだ。うまく表現できないけれど、その気を使いながら掃除を始めた瞬間が、今からもう7年近くも前のことだと思うと、時間の流れの速さに驚愕するのだ。フランス語ももう10年も前から「いつかやりたい」と思っていた。ピアノも「いつか」。でも、もう「いつか」ではなく「今」と思わなければいけない時期なのかも。

まるでアルプス

動物たちはいつも不意に現れる。

一番最初に来たのは数頭の牛だった。6年半前の秋の終わりだった。それから数年して馬がやってきた。いずれもそれほど長くはいなかった。

そして今日、お昼ご飯の準備にかかろうとしてキッチンへ行ったら、窓の外に羊の群れが現れた。目の前の牧場に、今度は羊がやってきたのだ。かなりの数。どこから来たのだろう?興奮して動画を撮っていたら、ちょうど牧人らしき人が2匹の犬を連れて窓の外を通り過ぎた。彼はまず、牧場の周りをあちらこちらへ歩いて羊たちを落ち着かせ、そのあと群れから少し離れたところに折り畳み式の椅子を出して腰かけた。そして、バッグからランチらしきものを取り出した。

目を羊に戻すと、数匹が砂利道まではみ出して、喧嘩をし始めた。あらら、うちの庭まで上ってくるかも?

と思っていたら……

1匹の犬があっという間にまた群れをまとめた。素晴らしい!

たくさんの羊が突然現れたので興奮し、お昼ご飯はなんだかわからないうちに終えた。牧人の様子もときどき伺い見る。散歩の途中らしき人と話したりしている。話しかける人は何人かいたよう。私も行こうかなぁ~、どうしようかなぁ。風が強いし、温かい飲み物とか、ちゃんと持っているのかなぁ。下手に飲んでトイレに行きたくなったらどうするのかなぁ。などと、考えをめぐらす。

ときどき窓の外を覗くと、牧人は自分の体を温めるためなのか、羊の群れを乱さないためなのか、あちらへ行ったりこちらへ行ったり。この牧場には柵がないから、きっと夕方にはまたどこかへ移動するのだろう。ルーシャも初めての羊の群れに、最初は興味津々だった(今は寝ている)。

スイスには、農家から羊の群れを預かり、移動させながら草を食ませている牧人がまだいる。まさか、家の中からそんな姿を見ることになるとは……。なんともエキサイティングなお昼だった。

子どもから学ぶ

私たちには子どもがいないので、子どもを通じて学ぶということが少ない。チャンスがあるのは姪や甥と会うとき。日本にいる甥姪はもうみんなほぼ大人になってしまった。それでも、若い世代から学ぶことは多々あるだろう。こちらの義妹の子ども二人はまだ義務教育中で、父親とは別居なので、ときどき一緒に旅行に行く。連れ合いを一昨年亡くした義母も、最近は一緒だ。

去年の(といっても、まだ数日前のことだけれど)クリスマスイブにも例年通りみんなで集まり、ワイワイと楽しく過ごした。メインディッシュを食べ終えると、甥がみんなをやたらと散歩に誘う。母親の義妹もそれを促す。私たちは甥の先導でぐるりと近所を一周し、あるアパートの前で止まった。「ここ、僕たちの新居だよ!」。何かウラがあるのかなぁ?と怪しんではいたけれど、実は数日前に、改築のため退去を求められている今のアパートの代わりがすぐそばに見つかっていたのだった。アパート探しが困難なことはみんな知っており、心配しているところだったから、夫も義母も、もちろん私も大喜び。家族にとっても素敵なクリスマスプレゼントになった。

と、ここまでは余談。この散歩中に、10歳の姪に尋ねた。「うちの近所の子どもたちは、会っても挨拶しない子が多いのよね。お母さんは二人に挨拶しろって教えた?」散歩の途中に見知らぬ人と出会い、二人が元気よく挨拶したので、聞いてみたのだった。姪は「教えられてないよ」と答えた。「じゃあ、どうして挨拶をするようになったの?」「会う大人が挨拶をするから」

なるほど。子どもにものごとを教えるのは親だけじゃない。私はこんな当たり前のことを忘れていたのだった。これからは挨拶をしない子どもや親を不満げに見送るのではなく、相手が目を合わさなくても、私は挨拶をするようにしよう。姪っ子よ、ありがとう。

さて、2019年も無事に明けた。昨日の夜は8時くらいからすぐ目の前の砂利道や広場で打ち上げ花火が上がり出した。雨も止み、気温もそれほど低くなかったので、あちこちで花火を上げていたようだ。びっくりしたルーシャはすぐにうちに戻って来て、夜中までずっとベッドの下や植物の陰に隠れていた。音があまりにも大きいときは、ルーシャの耳を塞ぎに行った。花火は休憩をはさみながら夜中の12時半くらいまで続いた。

今朝、私より少し早くベッドを抜けだした夫が「Mが1人で花火のごみを集めてる」と言う。まだ若いMは二人の子どものお父さん。子どもが大好きのようで、よく一緒にサッカーをしたり自転車に乗ったりして遊んでいる。ごみを集めるのはいいけれど、花火をしたのは子どもたちだろう。自分で点火しなくても、それは確かに子どものためのイベントだったはず。それなら、子どもと一緒にごみを集めればいいのに、と思った。自分がやったことの後始末を自分ですることを学んでもらうために。小さいときからの「訓練」はやっぱり大事だ。

平野部の上空は暑い霧に覆われていたけれど、北東部の山岳地帯の一部には青空が広がっていた。光を求めて車を走らせ、青空と雪を楽しむ