夏が来るのを待っているうちにもはや秋

異常気象が当たり前になってしまったかのような最近の地球。若者が未来を悲観して世界中で声を上げるのも無理はない。それでも、政治の歯車が回る速度は遅々として上がらない。私も含め、一度手にしてしまった便利さはなかなか手放せない人間……。

今年は雨が多く気温が低い夏だったうえに、雹やあられの被害が大きく、農作物はイチゴやアプリコットから、トウモロコシ、ブロッコリーなどまで不作が広がった。サラダ菜も、ミニサイズのものを多く見かけた。きっと太陽の光が足りなくて、育たないのだろう。トマトの甘みも去年より少ない。ブドウの被害も大きく、農家はどこもたいへんだ。

こんな風に、夏らしくなるのを待っているうちに、もう秋になってしまった感じがする。スイカや素麺を食べる機会もほとんどないままに。スイスの夏は短いので、よけい残念だ。その短い夏の間、気がついたらブログもさぼったままだった。コロナウイルスは相変わらず人間社会を支配しているので、今も家の近所をうろうろするだけ。でも、外を歩くと、季節の移り変わりは、目で、肌で感じる。

6月は隣村に真っ赤なひなげしのじゅうたんが広がった

今年はアジサイが色づくのも早かった。何もしないのにどんどん大きくなって、道行く人の目も楽しませてくれる。夏はイチゴミルク色

 

フランス語圏ヴォー州で秋休み。予想外の好天に恵まれ、てくてく、てくてく
ユネスコ世界遺産にも指定されているジュネーブ湖畔のラヴォー。いつ見ても美しい
今朝の窓からの眺め。毎朝、靄が出るようになり、すっかり秋の気配

空と農家からのプレゼント

天気予報では昨晩から雨が降り出すはずだった。好天の昨日、あちらこちらから芝刈り機の音が聞こえる中、私は頭の隅で気にしながらもPCに向かって過ごしていた。夜、天気予報を見ながら、「明日はやっぱり雨だよなぁ。これからしばらくは雨だなぁ」と、芝刈りのチャンスを逃したことを少しばかり後悔していた。今日は朝から曇り。雨は降っていない。このままお昼ぐらいまで雨がなければ、ひょっとしたら夜露に濡れた芝生もそのうち乾いて芝刈りができるかもしれない。そんな淡い期待を抱いた。ときどき陽が射す。青空もわずかに覗く。何度か外に出て芝生に触ってみる。そして、朝から比較的暖かく、風も少しあるおかげで、お昼前には芝生を刈ることができた。ほぼ望みなしという天気予報だったので、何だか空からプレゼントをもらった気分だ。

近くの農家からも今年は思いがけないプレゼントをたくさんもらった。私のウォーキングルートの1つになっているすぐ近くの耕作地帯に、引っ越して9年目にして初めて菜の花が植えられたのだ。それもあちこちに!気持ちまで明るくしてくれる輝くような黄色い絨毯が、近くに遠くに巻き広げられている。

自宅から徒歩往復2時間で行ける場所は、自然保護区域になっている湿地帯や小さな湖や沼、今は新緑が目にやさしい森、広々とした耕作地や牧草地と、のどかな場所が多い。コロナ前に1人でウォーキングを始め、今は夫と2人でてくてく、あちこちを歩いている。引っ越して9年目、ようやく森を抜け丘を越えて近隣の村に続く道をだいたい把握した。

そんな風景の中を2時間も歩くと、森の表側と裏側の丘陵地でそれぞれタンポポが満開になっていたり、すでに一面綿帽子になっていたりと、微気候もはっきりとわかる。桜が散って、今はリンゴの花の淡いピンクが可愛らしい。この雨できっとリンゴの花も散り、今はライラックが開花し出した。春は本当にエネルギーに満ち、新しい生命がまぶしい季節だ。

4月の天気はめまぐるしい

可憐に咲いた桜の花に冷たい雪が積もる

ドイツ語に「Aprilwetter」ということばがある。日本の「女心と秋の空」に当たることばだ。でも、季節がまるで違う。「April」は「4月」、「Wetter」は「天気」を意味するので、直訳すれば「4月の天気」。この辺りでは、秋よりも春の天気の方が変わりやすい。1日のうちに1年のあらゆる気象が起こると言っても過言ではない。一晩で天気がころっと変わり、気温差が10℃以上になることも。そして、例年と言っていいほど3月くらいに暖かくなり、イースターの頃に寒の戻りがある。

今年のイースターは比較的安定していた。寒さに襲われたのは、ちょうどイースターが過ぎてから。明け方は零下になり、北風がびゅうびゅう吹く中、雪も積もるほど降った。

その少し前、3月は記録的に暖かかった(暑いと言った方が正しいかも)。そしてまた、イースター明けの寒さも記録的だった。桜の開花は例年よりずいぶん早く、寒波が押し寄せたときにはほぼ満開状態。実がなる奥の方まで凍ってしまい、地域によっては8割がたが凍結してしまったという。今年はサクランボが不作となりそうだ。

命が芽吹く春には、いろんな野草も顔を出す。今はもう花が咲いてしまったかもしれないけれど、川沿いを散歩するとよく行者ニンニクがわさわさと生えている。3月に、上階に住むカップルが近くの湖で摘んだものをお裾分けしてくれた。採り立てをバジルのようにペーストにしてスパゲティに絡めていただいたら、強烈に刺激的な味でひどく驚いた。そのほか、スイスには蕗もあるそうだ。海育ちの私は山菜にはあまり馴染みがないので、詳しいことはよく知らないけれど。私の今の楽しみは、せいぜいタンポポの葉のお浸しといったところか。

あり過ぎると困るけれど、なくなると寂しい……

数えてみたら、もう1カ月近くも雪が積もったままだった。きっと30~40センチは積もっていただろう。記録的な降雪だ。庭のラベンダーもハーブも、長い間、雪の下にすっぽりと埋もれたままだった。目の前はとにかくどこを見ても雪野原。スノーシューズやノルディックスキーを楽しむ人、子どもをそりに載せて引っ張る人、馬に紐でスキーをつないでホーススキーをする人など、窓から見える風景は普段とまるで違っていた。

ひざ下までごぼごぼと沈むので、コンポストまでたどり着けなくなった。ルーシャにとっては巨大な雪の壁だ。ほとんどうちから出ることなく、バスルームに置いたままにしてある猫トイレをまた使うようになった。せめて、うちの周りだけでも歩けるようにと、シャベルを取り出して初めて雪かきに挑戦。コンポストまでの1メートルくらいと、東側のテラスから北側を通って西側へ10メートル弱だろうか、雪をかき分けかき分け、小道を作った。庭仕事用のスチールのシャベルなので、雪がシャベルにくっついて重くなる。いちいち雪を手で振り払わないといけない。帽子、手袋、マフラー姿だと汗が出る。手や腰が痛くなる。雪かきって、こんなに大変な作業なんだ。でも、ルーシャのためにえんやこら。30分くらいシャベルを使っていただろうか、終わってルーシャに見せると、早速歩いていた。

かなり深い雪をどけて道を作ったのに、夜からまた雪が降り出した。でも、ルーシャは何とか歩けるよう。それでも、歩けるのはこの辺だけで、いつもネズミを捕りに行く向かいの野原はまだ一面深い雪に覆われている。私もウォーキングの回数が減った。気温も低かったので、凍った路上を歩くのも怖い。

一昨日くらいから気温が上がり出し、降雪が降水に変わった。あれだけ積もっていた雪も1日経つとかなり減る。雪解け水に雨が加わり、洪水の被害が出ているところもある。

この週末も雨。土曜の朝、雨が降り出す前に、久しぶりに隣村の森の中を歩いてきた。村の中でも目にしたけれど、何十センチも積もった雪の重みで枝や木が倒れている。

この森では、樹冠から1メートルくらいの部分が折れてあちこちに落下していた。森の所有者らしい人が、電動のこぎりを片手に森の中を見回っていた。傾いた木や折れた枝がとても多い。被害は甚大だろう。

もう春の鳥の鳴き声が聞こえている。雪はまた降るのだろうか。

十四夜の散歩

我が家はケンカは少ない方だと思う。それでも、やっぱり夫婦で互いに腹立たしい思いをすることがある。私は亡父に似て、怒ると話せなくなる。もやもやした気持ちで一緒にソファに座り、黙ってテレビを眺めているのも嫌なので、私は仕事部屋に引きこもったり、一人で散歩に出たりする。

先日も夕食時にちょっとした諍いになり、洗い物を済ませてから一人家を出た。夜は冷えると思い、ヒートテックを着込み、厚いコートに帽子、そして手袋をはめた。

外に出ると、明るい。近所の多すぎるほどのクリスマスイルミネーションのせいかと思ったけれど、空を見上げると満月に近いお月様が煌々と辺りを照らしていた。これなら、夜道の一人歩きも怖くなさそうだ。いつも歩く野道へと向かう。影ができるほどの明るさの中、速足でどんどん歩く。ときどき空を見上げ、星を仰ぎ見る。モミ林のシルエットが美しい。

夏ならまだジョギングしたり犬の散歩をしたりする人がいそうだが、4時半ごろに日が没する今の時期に畑道を歩く人はいない。林の外れに差し掛かり、空が暗くなるとちょっと怖い。野道に別れを告げて、農家の間を抜け、車道に出た。馬が二匹、外に出ていた。白っぽい方の馬が私を見ている。そばに寄って、しばらく見つめ合う。何だか悲しくなり、涙が出た。今年あったいろいろな出来事、まだ終わっていない出来事が心の中に折り重なっている。ときどき、そういうものを吐き出さないと。

「もう行くね」と声をかけてまた歩き出す。センターラインもない細い車道は一台も車が通らないまま。静かな夜。風もなく、歩いていると暑いくらいだ。村の中心を抜けて駅まで歩き、1時間半経った頃に家に戻った。