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子どもから学ぶ

私たちには子どもがいないので、子どもを通じて学ぶということが少ない。チャンスがあるのは姪や甥と会うとき。日本にいる甥姪はもうみんなほぼ大人になってしまった。それでも、若い世代から学ぶことは多々あるだろう。こちらの義妹の子ども二人はまだ義務教育中で、父親とは別居なので、ときどき一緒に旅行に行く。連れ合いを一昨年亡くした義母も、最近は一緒だ。

去年の(といっても、まだ数日前のことだけれど)クリスマスイブにも例年通りみんなで集まり、ワイワイと楽しく過ごした。メインディッシュを食べ終えると、甥がみんなをやたらと散歩に誘う。母親の義妹もそれを促す。私たちは甥の先導でぐるりと近所を一周し、あるアパートの前で止まった。「ここ、僕たちの新居だよ!」。何かウラがあるのかなぁ?と怪しんではいたけれど、実は数日前に、改築のため退去を求められている今のアパートの代わりがすぐそばに見つかっていたのだった。アパート探しが困難なことはみんな知っており、心配しているところだったから、夫も義母も、もちろん私も大喜び。家族にとっても素敵なクリスマスプレゼントになった。

と、ここまでは余談。この散歩中に、10歳の姪に尋ねた。「うちの近所の子どもたちは、会っても挨拶しない子が多いのよね。お母さんは二人に挨拶しろって教えた?」散歩の途中に見知らぬ人と出会い、二人が元気よく挨拶したので、聞いてみたのだった。姪は「教えられてないよ」と答えた。「じゃあ、どうして挨拶をするようになったの?」「会う大人が挨拶をするから」

なるほど。子どもにものごとを教えるのは親だけじゃない。私はこんな当たり前のことを忘れていたのだった。これからは挨拶をしない子どもや親を不満げに見送るのではなく、相手が目を合わさなくても、私は挨拶をするようにしよう。姪っ子よ、ありがとう。

さて、2019年も無事に明けた。昨日の夜は8時くらいからすぐ目の前の砂利道や広場で打ち上げ花火が上がり出した。雨も止み、気温もそれほど低くなかったので、あちこちで花火を上げていたようだ。びっくりしたルーシャはすぐにうちに戻って来て、夜中までずっとベッドの下や植物の陰に隠れていた。音があまりにも大きいときは、ルーシャの耳を塞ぎに行った。花火は休憩をはさみながら夜中の12時半くらいまで続いた。

今朝、私より少し早くベッドを抜けだした夫が「Mが1人で花火のごみを集めてる」と言う。まだ若いMは二人の子どものお父さん。子どもが大好きのようで、よく一緒にサッカーをしたり自転車に乗ったりして遊んでいる。ごみを集めるのはいいけれど、花火をしたのは子どもたちだろう。自分で点火しなくても、それは確かに子どものためのイベントだったはず。それなら、子どもと一緒にごみを集めればいいのに、と思った。自分がやったことの後始末を自分ですることを学んでもらうために。小さいときからの「訓練」はやっぱり大事だ。

平野部の上空は暑い霧に覆われていたけれど、北東部の山岳地帯の一部には青空が広がっていた。光を求めて車を走らせ、青空と雪を楽しむ

スイスの閣僚に求められるもの

先日、新聞の中に、スイスの閣僚に求められる語学能力はどれほどかという記事を見つけた。スイスには国語が4つあり(ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語)、スイス人はみな、母語のほかに最低もうひとつ別の国語を義務教育で学ぶ。でも、一般的にドイツ語を母語とする人はフランス語が苦手だし、フランス語を母語とする人はドイツ語が苦手だ。

この間退任した経済相は、ここ数年、会議中に居眠りしたり、演説やインタビューもなんだか詰まり気味だったりして、見ている方がハラハラするくらい衰退してしまった感があったが、障害者の日かなにかにフランス語で行ったテレビスピーチのミスをマスコミに指摘されたことがある。ちょっと発音を間違えて、意味が大きく違ってしまう単語になってしまったのだ。

財務相も英語の冠詞をよく間違えるらしい。英語はあまり得意ではないようだ。

一方、1年前に外相に就任したイタリア語圏出身の大臣は、イタリア語のほかにドイツ語、フランス語、英語を自在に操るという。イタリア語ができるとフランス語を習うのはやさしいというし、フランス語ができれば英語も習いやすい。それに、イタリア語圏にはドイツ語圏の人もたくさん訪れたり住んでいたりするので、ドイツ語ができる人は少なくない。うらやましい環境だけれど、やっぱり努力なしにはこうはなれないのかも。

新しく就任した二人の女性大臣の1人は、会議通訳の資格所有者なので、おそらく母語のドイツ語のほかに英語とフランス語が流暢なはず。もう1人もドイツ語とフランス語のバイリンガル。新聞は、女性の方が語学に優れていると書いていた。退任した女性運輸相も、母語のドイツ語のほかに英語やフランス語でも問題なく交渉できた。残っている女性司法相はコンサートピアノ奏者の資格を持っている人だが、閣僚入りしてから難なく言語能力を高めたらしい。

記事の最後には、語学能力が閣僚選出を左右することはない。通訳を付ければ済むことなのだから、と締めくくっていたけれど、ほかの国にとってはそれがごく当たり前のことで、政治家にこんなに語学能力を求める国はあまりないのではないだろうか。多言語、多文化が入り混じるスイスならではの話だ。

窓に置かれたキャットタワーからすべてチェック!

暑く長い夏が終わって

暑く長かった夏が終わり、冬時間の始まりを告げるかのように、空には霧や雲が広がり出した。天気がよかったのはうれしいけれど、河川からは水が消えたまま。高台にあるわが村も、まだ節水警告が解けないまま。おとといから降り出した雨は小雨で、水位は上がりそうにない。今後は、こんな夏が増えるのでは、と予測されている。

10月初旬の秋休み、5年ぶりに義妹家族と一緒にスペイン領のマヨルカ島へ行ってきた。今回は義母も一緒だった。ずっと一緒にいて、つくづく気を使い合う家族だと実感。おかげで、笑いの絶えない楽しい1週間となった。観光でもっているマヨルカ島は温暖な気候だけれど、滞在中に珍しく暴風雨が襲い、ちょうど私たちが滞在していた辺りに死者を伴う大きな被害が出た。天気が回復したあとビーチへ行ってみると、地形が変わっていたほどだった。のんびりと過ごしている間、夫が「亡くなった人もいるというのに、僕たちはこうしてビーチに寝転んでいるんだよね」とポツリ。マヨルカで自然災害に遭って死ぬなんて、誰が想像しただろうか。

マヨルカにたくさんある、元農家を改造したフィンカと呼ばれる一軒家。6人と人数が多かったので、一軒をまるまる借りた。プール付きで広々とした敷地に建っているので、開放感もたっぷり

その後は、明日から始まる1週間の泊りがけの仕事の準備と、ほかにポツポツと入ってくる翻訳の仕事に追われる毎日。あ、いや、その前に、マヨルカから帰って、夫がまだ1週間休みを取っていたので、あちこちの山にハイキングに出かけたのだった。これまで夫は、亡くなった父親が使っていた革製のリュックサックを背負っていたのだけれど、先日、外ポケットがいっぱいついている新しいリュックを買ったので、去年買ったばかりのハイキング用のパーカーと一緒にそれを使いたくて、目指すは常に標高が高くて気温が少しばかり低い山だった。

平野は霧の中でも、標高1000メートルを超えると青空に

でも、その頃はまだまだ天気がよくて、着いたときは肌寒くても、歩いているうちにパーカーなんか着ていられないほどになる。そうなったらリュックの出番。山の傾斜地に腰を下ろして、うちで作っっていったサンドイッチをほおばってしまえば、リュックは空っぽになるからパーカーを入れないと寂しいくらいなのだ。

  

味わう

健康的な問題のことを書くのはなぜか気が進まないが、かれこれ10年前からいろんな臓器に慢性的な疾患がある。突発性難聴もその一つ。どうやら私は耳鼻咽喉が特に弱いよう。突発性難聴と言っていいのかどうか、一年に最低一度は発生する。そして、この春からそれに聴覚過敏が加わった。食器がぶつかり合う音やある種の大声が耳に痛い。これを何とかできたらいいなぁとネットで調べたところ、東京に耳鳴りや聴覚過敏に良い整体をしているところがあった。先日の一時帰国でちょうど東京へ行く予定になっていたし、時間もありそうなので、ダメ元で行ってみることにした。

スイスに戻る前日で、この先通院することはできない。整体師の方によると、自律神経の乱れもあるという。自分でできることを教えて欲しいとお願いしたら、いくつかのマッサージのほかに「朝の散歩」と「味わって食べること」を勧められた。

朝日を浴びながらの散歩。なんて優雅だろう。気持ちいいだろうなぁ……と思いつつも、スイスもずっと猛暑で、朝もかなり暑い。仕事も入っていた。ということで、まだ実現せず。この先、ちょっと余裕があるときに初めてみたい。

味わって食べること。これは特に1人で食べるお昼に実行している。今まで雑誌などをめくりながらささっと食べていたのだけれど、これをやめて、食べるものをきちんと見ながらいただいている。味わって食べると、自然とよく噛むようにもなる。

散歩も味わって食べることも、ふと聞くとなんてことのないアドバイスのようだけれど、要は人間らしく生きなさいということなのだろう。自然の光を浴びて体を動かし、きちんと食べる。生活の基本だ。

聴覚過敏は良くなってきていたけれど、また突発性難聴が起こって逆戻り。これまで運よく聴覚は戻ってきている。この先、どうなるかわからないけれど、いずれにしても整体師の方からは生きる上で貴重なアドバイスをいただいたと思っている。

庭からいつも素晴らしい夕陽が見える。今度は外に出て朝日を見なくちゃ

濃厚な2週間はもはや遠い過去

5月の姪の結婚式に続き、7月にはその兄の甥が挙式。今回は夫と二人で帰国し、史上最高の猛暑の中、本当にあっという間に10日間が過ぎていった。行きの名古屋空港着の飛行機からは、わざわざ左席を確保した甲斐あって、かなり遠くではあったけれど富士山が見えた。富士山、やっぱり見えると嬉しい。

テレビで見るとみんな団扇で扇いでいるのでもっと暑いかと思ったけれど、それほどでもなかった

エンターテイナーで知られる甥の披露宴は、さすがに今までに見たことのない余興が盛りだくさんで、4時間は瞬く間に過ぎ去った。

恒例の叔母たちとの食事会では、迎えに来てくれた叔母の車がパンクし、叔母はたまたまそこを通りかかったパトカーで最寄りのガレージまで連れて行ってもらい、初パトカー経験。夫の初体験は大相撲名古屋場所(私も)。終盤戦には満員御礼となり、欧米人の姿も多く見かけた。そしてなんと、この相撲観戦をアレンジしてくれた義兄・姉がテレビに映っている4人を発見。暗闇に浮かぶ亡霊のようではあったけれど、確かに私たちだった。

猛暑の東海地方をあとにして、次は4年ぶりの東北へ。今回は夫も初めて同行し、一ノ関で車を借りて、気仙沼、陸前高田、大船渡を、文字通り駆け足で周った。

これまでは自転車や徒歩で周ったので、時間は少なくとも、ある程度じっくりと見ることができたけれど、今回は車で大通りを走り抜けただけ。それでも、4年前の風景とはかなり違っていることが分かる。気仙沼には新しいマンションが立ち並ぶ一角があった。

陸前高田にはまだまだ土が運ばれている。嵩上げ作業は当分続くのだろうか。建物もまだ少ない。

大船渡の町はかなり新しい建物が増えている。商店街やホテルも完成しているけれど、人通りは少ない。今後はおそらく、日本各地の過疎地が面している問題がこれらの地域でもクローズアップされるのだろう。

大船渡に一泊し、翌朝は猊鼻渓の船下りでスタート。手漕ぎのボートに乗り、セミや鳥の鳴き声、魚に随伴してもらいながら、船頭さんの楽しい説明を聞く。

一ノ関に戻って一泊。大船渡の夜は過ごしやすかったけれど、内陸部の一ノ関はやはり暑い。この夜は酒蔵見学を予約。ほかの二人の女性と4人だけのミニツアーで、担当の方の熱心な説明を聞く。きき酒の仕方も習って、おいしいお酒を少し味わった後は、レストランで夕食。名

蔵元レストランせきのいち 一連の酒蔵を改造して素敵なレストランに

物の「はっと」を入れる鍋料理やお餅はとてもおいしかったけれど、何せあの猛暑。冷房はなく、扉を開け放してあるのは雰囲気はいいけれど、蚊や暑さと闘いながらの食事はちょっとキツかった。それだったら、いっそのこと、いい感じのテラスで食事した方がよかったかも。

一ノ関はこれまで新幹線の乗り換えをしただけで、駅前には何もないと思っていた。町は確かに小さいけれど、こんな素敵なレストランもある。そして、車があれば、ここから世界遺産の平泉もすぐ。

青いカエデが涼し気

ということで、翌日は平泉へ。ネットで得た間に合わせの知識しかなかったけれど、何も知らなくとも、この広大な中禅寺は気分も落ち着くこれまた素敵な場所だ。

 

平泉には田んぼアートもある。でも、標識は出ていないのか、見つけられず、見物人もいない。この辺りだと思われる橋の上を走りながら左側に広がる田んぼを眺めていて、ふと色の違う稲があったような気がした。田んぼの方に下りて車を停めてもらい、暑さに辟易している夫を残して橋の上に戻った。すると……、あったあった。

正面から見ないと、こういう絵にならない。橋を上っているときは、なんだか色の違う稲が細く見えるだけだったけれど、正面に立って見て「ほお~」と感心した。広々とした田んぼに立体的な絵が立っている。これはやっぱり写真より実物を見るべきだ。夫は「写真見せてくれればいい」って言っていたけれど。

このあとは東京で友人たちとの再会を祝い、一足先に新婚旅行に出た甥っ子夫婦を追ってスイスに帰国。いろいろとハプニングに見舞われた二人を無事チューリヒで迎え、15年前に甥・姪と一緒に行ったグラウビュンデン州の山村ソーリオへ。

標高1000メートル以上にある村なので、やっぱり猛暑が続くチューリヒよりは涼しいかと思いきや、ここも30度近い暑さ。汗をかきかき2時間ほど森の中をハイキングした。

夜のソーリオはやっぱり過ごしやすい

ホテルのチェックアウト時に「新しい家ができてますね」と言うと、10年くらいで人口が140人から89人に減少したとご主人が話し出した。うち40%が80歳以上だそうだ。日用品を買える店もない山の中の村には若い人はとどまらないのだろう。

こんな人里離れたところでは、さすがに日本人は見かけないと思いきや、ハイキング中にも一夫婦に出会ったし、このホテルにも日本から絵を描く人たちが毎年来ているという。すごく楽しい時間を過ごしたとご主人は顔をほころばせた。

でも、今年は近くの村ボンドで大きな土砂崩れがあり、それが世界中に報道されて、この辺り一帯が通行止めになっていると思われてしまったと悲しげな顔も見せる。

甥っ子夫婦が帰国してからまだ数日しかたっていないのに、日本滞在も甥っ子たちとの時間も、まるで遠い日のことのよう。また二人と一匹の静かな生活に戻り、ちょっと寂しいかな。