広い空の下で感じること

2月の母の誕生日から、毎週3回1時間のウォーキングを始めた。ときには雪が降りしきる中を歩いたあの頃から、不安の中、それでも菜の花畑や青葉に目を細めながら、真夏のような暑さの中を歩いた春も過ぎ、暑さをしのぐために早朝、ひまわり畑の中を歩く夏も終わりに近づいてきた。

この半年間で、ロックダウンのせいだろう、散歩やジョギング、サイクリングをする人が増えたのがよくわかった。そして、「おらが村」は牧場や畑、森、湖、小川がたくさんあり、歩くにはもってこいの場所だということも。今では、いくつか歩くルートが決まっている。大空に、カラスはもちろんコウノトリやトンビ、つばめもたくさん見かけるし、湖に行けば魚が跳ねたり、カエルの合唱が聞こえてきたり。農場にいる仔牛はいつも私が歩くのをじっと見ている。ときには、牛の鳴き声リレーも聞けたりする。

畑には、リンゴやナシなどの果樹、フェンネル、ネギ、ブロッコリー、トウモロコシ、その中に立つ案山子、それから東欧から出稼ぎに来ていると思われる、私と同年齢くらいの男性たちが朝早く野菜を収穫している姿。

彼らを見ていると、ちょうどこの年齢くらいで亡くなった父を思い出す。まだまだ働き盛りとは言え、暑い日差しの中、何時間も腰を曲げて立ったままの労働はきついだろう。真珠養殖をしていた父も、重労働に汗を流していた。私がスーパーや八百屋でふと手に取る野菜や果物は、人間の手で一つひとつ収穫されているのだと、やっと気がついた。収穫が終わると、その畑は耕され、また何か苗が植えられる。そんな風景を見ていて、自分が少し人間らしくなった気がする。

そして、毎朝、毎夕、東に西に太陽を眺め、姿を変えていく雲を眺め、夜は星空を眺めながら、こういう環境にいられることをとても贅沢なことだと思う。

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