懐かしきそろばん

今年の夏くらいだったろうか、ふと、またそろばんをやりたくなった。小学校の低学年で始め、確か中学校を終えるまで塾に通った。2歳年上の姉が通い始め、私はまだ通える年齢に達していなかったのだけれど、自分も行きたくて行きたくて仕方がなくて、特別早く通わせてもらった記憶がある。あの頃の記憶は、もう事実なのか、頭の中の想像なのか、わからなくなっているけれど。

そろばんをはじく音が好きだった。そろばんの匂いも好きだった。うちでも練習していた記憶がある。最後は確か段までいった。

秋に日本に帰る前、姉に「そろばん、まだうちにある?」と聞いたら、しっかり見つけてくれた。実家に帰ったら、そろばん塾の先生に練習本を譲ってもらえないかどうか聞いてみようと思っていたところ、お寺の晋山式のときに先生夫妻や姉と同級の息子さんに運よく遭遇。「またそろばんをやりたい」と言ったら、息子さんの方がその日のうちにも1級から3級までの練習本をわざわざ届けてくれた。

スーツケースの中にそろばんと練習本を入れて持ち帰り、今は時間が許す限り、毎日、見取り算と掛け算と割り算を1回分ずつ練習している。最初はやっぱり指の動きが鈍く、珠も一度に二つ動かしてしまったり、隣の珠まで動かしてしまったり。「こんなんで大丈夫かなぁ」と思っていたけれど、昔取った杵柄はすごい!第3回くらいまでくると、最初は不正解の方が多かった答えの正解率がどんどん上がってきた。掛け算や割り算では、小数点での指の位置の動かし方なんかもうすっかり忘れていたので、ネットで調べ、まだあやふやなままでも続けていると、なんとなく指の方が勝手に動いてきたりする。下手に考えて動かすよりも、指に勝手に動いてもらう方が合っていたりして。

子どもの頃はただ好きでやっていたけれど、今、こうして新たに始めてみると気がつくことがある。そろばんをはじいているときって、意外と頭を使っているのだ。もちろん、九九は頭の中で計算しているけれど、それ以外にも、掛け算や割り算だと、ソロバンに置いていない掛ける方や割る方の数がかなり頭に入っている。計算中の珠も、よく見なくてもだいたいどのくらいなのかがわかる。目の端に入っているのか、経過が頭の片隅に残っているのか……。

そう考えると、今や実生活でそろばんを使うことなどないけれど、小さいときにそろばんをやるのは今でもきっと有意義だろう。脳を活性化してくれることは間違いない。私の衰えゆく脳も、これからまたちょっと活性化できるかも。期待大。

昼間でも霜の消えない日が多かった。草っぱらもきれいな模様の絨毯のよう

昼間でも霜の消えない日が多かった。草っぱらもきれいな模様の絨毯のよう

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