マルセル・ジュノーと難民申請者

日本が安保法案や東京オリンピックのエンブレム問題で騒然としている一方で、ヨーロッパはアフリカやバルカンを逃れてくる大量の人の波に飲まれつつある。私たちがサントリーニでのんびりとしている間にも、同じギリシャの島コスに大勢の人々が上陸していた。今は電車で、バスで、フェリーで、そして徒歩で、何万人という人々が安全やより良い暮らしを求めて、特にドイツを目指している。

スイス政府も大勢の難民申請者が流入すると見込んで、その準備を進めているようだ。また1年前くらいに、人道支援組織が一般家庭に難民を受け入れてもらうという案を出し、これまですでに500件以上の申し込みがあるという。スイスでは州ごとに法律が異なるため処理が煩雑で、実際に受け入れまで進んでいる家庭はまだ数えるほどだが。

今は難民申請者の大幅な増加もスイス国内ではまだ見られていない。それでも、NGOなどにボランティアの問い合わせが殺到している。ハンガリーで足止めをくらい、やっとのことでドイツに入国した難民申請者たちは、地元の人々の大歓迎を受けた。死と隣り合わせの長旅を終えられただけでも、彼らの安堵は計り知れない。その上、温かく迎えてもらってどんなにほっとしただろう。

昨日、原爆投下後の惨事が広がる広島にいち早く入り、被害者の支援に当たった赤十字国際委員会のマルセル・ジュノー博士の半生を描いた日本のアニメを観た。執拗な粘りで戦争当事国の責任者の心を動かしていくジュノー博士。そんな行動の根元にあるのは「愛」。そして「勇気」だ。世の中のために何かをしたいと思うとき、欠かせないのは「勇気」だ。それを出すのは難しい。保身に回っては絶対に出ない。程度に差こそあれ、自分や家族の犠牲も厭わない思いがなければ、実際に行動に出せないことが多いと思う。

夕食のとき、夫が「うちでも一人引き取ろうか」と言いだした。それが冗談半分ですらなく、頭からその気などないことはわかっている。2人住まいには十分広いアパートだが、まるきり違う習慣の中で暮らしていた人、体や心に傷を負っているかもしれない人との同居はそれほど容易いことではないからだ。それこそ、多くの時間と辛抱をその人のために費やすという犠牲を覚悟しなければならない。私たちにはその準備がない…。

そのあとの夜のニュースで、スイスのある村に住む難民申請者たちの話が取り上げられていた。村の人がボランティアで彼らにドイツ語を教えたりし、難民申請者は村人の畑仕事を手伝ったりする。アフリカ出身の彼らは異口同音に「みんながとても親切にしてくれる」と言う。だが、初めは大勢で喧嘩するほどの不協和音だったそうだ。それがこんなに調和のとれた共同生活になるなんて…。

その映像を見ながら、もし私たちが誰かを引き取ったとして、きっとそれはエリトリアの人で、その人がもしももしも何かを盗んだとき、私はどう反応すべきだろう、などと考えた。知らないふりをしてずっと親切を続けて、いつか盗みを止めるのを待つのか、それともきちんと話し合うべきなのか…。でも、そもそもその人が盗むを働くという仮定を立てることからして、私はやっぱり彼らを色眼鏡で見ているのだろうか。

人は未知のものに対して不安感や恐怖感を抱く。それを取り除くにはまず「未知」を「既知」にすることだ。それはわかっているけれど、「時間がない」とか何とか言い訳をしている私には、それに必要な行動を起こす勇気がない。そういう意味でも、今、日本で声を上げる人が増えていることをとてもうれしく思う。

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