継続は力なり、でもいつまで?

今日は私たち夫婦とは無縁のバレンタインデー。こちらでは男性が女性に花を贈ることが多い。でも、私はたぶんもらったことがない。別にこの日に花を贈ってほしいとは思わないけれど。日本ではたぶん、国中を大量のブツが飛び交っているのだろう。

ここ数年、人を仲介することが多くなった。XXできる人を探している、XXしてくれる人はいないかしら、という知人・友人からの問い合わせ。それから、通 訳や翻訳に関しても、紹介したりされたりということが徐々に増えてきた。始めた頃は、たった1人。同業者で知る人は誰もいなかった。時とともに、仕事を通 じて通訳をやっている人と知り合い、その人を通じて別の人と知り合い、というふうに、少しずつ頼りになる人が増えていって、今では私にできない仕事を頼め る人が、それほど多数ではないけれど、自信を持ってクライアントに紹介できる人がいる。ふとそう気がつき、うれしくなった。継続は力なり、ではないけれ ど、続けていただけのことはあったんだなあと思う。

翻訳には定年退職はない。でも、だからといって無条件にいつまでも翻訳ができるわけではないと思う。もうずいぶん前になるが、こちらの翻訳会社でこんなこ とを経験した。2年に一度チューリヒで開かれるクリスマス・アペロ。誰も知る人はいないけれど、勇気を出して参加。いろんな国出身の同業者や翻訳会社の社 員と知り合って楽しい時間を過ごした。その2年後、また招待状をもらったので出かけたとき、前回優秀賞みたいなものをもらっていた年配のドイツ人女性の姿 が見えない。彼女とは前回、社員の人と一緒にたくさんおしゃべりをしたので、その社員の女性に「彼女は今年は来ていないのね?」と聞いたら、「ちょっと怒 らせちゃったかも」と言う。彼女は書籍も何十冊と出版している大ベテランなのだが、社員の女性いわく「彼女のスタイルはもう時代遅れなの」。最近仕事の依 頼が来ないけどどうしたの?と聞く彼女にそう伝えたら、もちろん彼女は気を悪くしたという。それを聞いて、私はショックを受けた。賞をもらうほどたくさん 仕事をして、信頼もあった翻訳者がわずか2年後にはもうお払い箱。

外国に住んでいると、「今の日本語」と歩みをそろえるのは難しい。私が慣れ親しんでいる日本語は、もう数年先には「時代遅れ」の日本語になっているかもし れない。特に、古典の響きが好きで勉強し直したいと思っているような人間の日本語は、古臭いと一蹴されてしまうかも。まあ、それならそれで仕方がないのだけれど。

 「夜明けの空は葡萄色、街の明かりを一つひとつ消してゆく魔法使いよ……」(雨の街を、荒井由美) うちの周りには明かりはあまりないけれど、魔法使いはいる

「夜明けの空は葡萄色、街の明かりを一つひとつ消してゆく魔法使いよ……」(雨の街を、荒井由美)
うちの周りには明かりはあまりないけれど、魔法使いはいる

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