月: 2005年8月

今年のハイライト

今年のハイライトは無事通過していった。

火曜日、ジュラ地方へのろう者との日帰り旅行は、親切な運転手さんと懐かしい顔、新しい顔、気心の知れた仲間と一緒に事故もけがもなく無事終了。天気は今ひとつだったけれど、行ったことのない地方にまで足Frankreichを伸ばしたので、なんだか得した気分。ス イスとフランスの国境にある小さな湖(Lac des Brenets)で舟に乗り、レストランで食事をしたあとまた舟で同じ場所に帰ったのだけれど、湖の向こう岸はもうフランス。レストランの後ろにある小さ な橋を渡ると小さな滝へ行けるのだが、そこはもうフランスだった。でも、チェックは何もない。左の写真はフランス側。ハイキング道の標識がスイスとは違 う。帰りビール湖にある小さな町で休息。このTwan(トゥヴァン)という町は夫の母方の祖母が昔々住んでいた町なので、遠出の帰りなんかに何度か立ち 寄ったことがある。駅の向こう側は湖。週末の大雨でスイス各地に大きな被害が出ているときだったのでここはどうかと見に行ってみた。そしたら、やっぱり湖 がかなり増水して公園の芝生も水浸し。柳の下のベンチはすっかり水Thunerseeに浸かっている。たぶん住宅は山の傾斜の方に立っているので被害はなかったと思うけれど、ベルンや中央スイスではひどい様相だ。テレビのインタビューで声を詰まらせている人を見るといたたまれなくなる。

水曜日、木曜日は通訳のお仕事。今回はチーズ工場の見学や商談。通訳でも翻訳でもそうだが、私には専門がないので、私の一般知識でできそうなお仕事はすべ て引き受けさせていただいている。だから、逆に勉強させてもらうことが多い。今回もチーズについてだいぶん勉強させていただいたし、チーズ工場の見学もと てもおもしろかった。それに、いつもそうだけど、クライアントの方々がまたいい方ばかり。楽しくお仕事させていただいた。そして、最後にいつも思うのが 「私の通訳で十分だったかしら」ということ。翻訳でも通訳でも「正直な感想を聞きたい!」といつも思う。

そして金曜日。朝、知人の娘さんを空港へ迎えに。彼女はお父さんの仕事の都合で家族揃ってスイスへやってきて、お姉さんと一緒にインターナショナルスクー ルへ通っていたのだけれど、両親は先に日本へ帰国、残っていたお姉さんももう卒業して、今年1年は一人で学校を終えなければならない。6時半に着陸してい たのに、私が迎えに行ったのは8時半過ぎ。長い間待たせてしまった…。チューリヒ中央駅でちょっとおしゃべりして11時ごろ彼女は電車で寄宿舎へ。

私はいったん家へ帰って、お母さん、つまり私の友人(彼女は日本で手話通訳をやっている貴重な友人)が彼女にたくさん持たせてくれたお土産をおき、昼食を 食べてから再び中央駅へ。ここでノーベルトやドリスと待ち合わせてコミュニケーション・アシスタントコースのワークショップへ向かう。この日はアッシャー シンドロームの人用の手話や盲ろうの人用の手話を習った。なかなか興味深かったけど、私たちにはもっと練習が必要みたい。机上の知識が多くて実地が少ない ので、批判的な声がだんだん大きくなっている。その声にはもちろん私も納得しているけれど、このプロジェクト的なコースにはやっぱり限界があるのもしかた がない。帰りの電車には仲間が多い。中央駅で別れ際にまた話が弾み、というか、私が手話通訳のコース仲間にいろんな質問をして、彼女がまた親切ていねいに 答えてくれたため、いつまでも立ち話が続いた。

その後はもう一つ、最後の楽しみが待っている。大正大学カウンセリング研究所の村瀬教授にお目にかかることになっていたのだ。ホテルの部屋のドアを開けて くださった村瀬教授は、小柄で上品でいつもにこにこと笑っていらっしゃる暖かなおばあちゃまといったふう。教授は聴覚障害者の心のケアを研究されている。 もっといろいろとお話をお伺いしたかったけれど、日本から着いたばかりで3日後にはまたお帰りになるという強行スケジュールなので、次の機会を楽しみにす ることにした。このときは村瀬教授ばかりではなく、新たに2人の日本人女性とも知り合い、刺激を受けて帰宅。誘ってくれたK子さんに感謝。

こんな一週間のあとの土曜日はぐったり。毎日ちゃんと睡眠は取ったし、朝もこれといって疲れは感じていなかったけれど、やっぱり緊張の日々が過ぎ去ると一挙に疲れが出るものなんだ。この週は本当に多くに人に出会っていろんなことを体験した。まさに今年のハイライト。

忙しくなりそう

書類も見つかり警察へ届け出たけれど、自転車はやっぱり見つからない。そろそろあきらめ時かなあ。どこか早く特売してくれないかしら。

今週1週間は翻訳の仕事で忙しかった。丸2日間は家に閉じこもりっきり。何とか締め切りに間に合った。ほっ。

来週もろうの人たちのBBQに参加したり、日帰り旅行の付き添いをしたり、コミュニケーション・アシスタントコースのワークショップへ行ったり、その合間 には通訳の仕事が入っていたり、来瑞する人を迎えに行ったり、日本で聴覚障害者に関わっている方と初対面したりと、とっても忙しくなりそう。ひょっとし て、今年のハイライトかも。

ここ数週間、全然手話を使っていない。昨日、テレビを見ながら画面に出てくる人の名前を指文字で表そうとして、スピードがものすごく落ちているのに気がつ いた。ショック!やっぱり常日頃から使っていないと、すぐに動かなくなってしまうんだ。来年実施される手話通訳コースの入試を受けるだけ受けてみようと 思っているけれど、これはやっぱり危ないかな。ドイツ語で落ちるだろうと予想しているんだけど、手話もダメかも。う~。

最近のモグリ

最近のモグリ

まさか・・・!

私がどんな悪いことをしたって言うの?そう思うと泣けてきた。

なんて書くと「いったい何が起こったんだ!?」と思われるだろう。実は、そんなにたいしたことじゃないんです。

昨日、いつもどおり自転車で近くのスーパーへ買い物に行った。この日はなぜか、「いいや、今日はロックしなくても」と思ってそのままスーパーへ入った…こ の辺で、感のいいみなさんはもうお気づきになったでしょう。20分ほどで買い物を済ませ、スーパーから出てくると、入口付近に止めておいた私の自転車が消 えている!!

そんなバカな…。うそでしょう…。

前にも何度かロックしないでおいたことがあったけど、平気だったのに。

私が住んでいる地域は裕福な人がたくさん住んでいることで有名なので、スーパーの特価品で買った安物自転車なんか誰も欲しがらないだろうし、そもそも物を取る人がいるなんて…。いまの世の中、人は疑ってかからなきゃいけないんだ。いったい、誰が…。あの自転車は、夫のお下がり自転車が15年目にしてそろそ ろガタついてきたので、去年新しく買い換えたばかりだった。安物でも新品はやっぱり気持ちいい。これからまた長年お世話になるはずだったのに。それにして も、人のものを勝手にもっていく神経、私には理解できない。悔しいやら、情けないやら、悲しいやらで、徒歩での帰り道も泣きそうな顔をしていたに違いな い。

家に帰ってすぐ警察に電話した。居住地の警察へ自転車保険の控えと自転車の製品番号をもって出向かなければならないそうなのだが、どこを探しても製品番号の載った書類が見つからない。きっと捨ててしまったのだろう。そうしたら見つかる可能性はもうほぼないから、夫は新しい自転車を買おうという。それでも夕 食の後、車で近辺を走り回って、自転車を探した。そうしてくれる彼のこころがうれしかった。

一晩寝たらだいぶん落ち着いたけれど、思い出すとやっぱりいやな気分。でも、昨日思った。これくらいのことで泣いていられる私はきっとしあわせなんだ、と。

叔父叔母宅にて

昨日の土曜日、2年ぶりくらいで夫の叔父・叔母夫婦に会った。義母と義妹一家とともに、チューリヒから車で一時間くらいのところに住んでいる彼らの家へ招待されたのである。二人は田舎にある小さなホテルの最上階を素敵に改造して悠々自適に暮らしている。

約束どおり2時半ぴったりに着くと、テラスにアペロの準備が整っていた。緑に囲まれ、ハーブやプチトマト、ピーマンなんかも植えられていて、相変わらず手 入れもばっちり。軽いおつまみと白ワインでおしゃべりをしているうちに義妹一家も1時間ほど遅れて到着。もう8ヶ月になったレアンドロは叔父夫婦とは初対 面だ。

目のつくところに時計がなかったのでよくわからないけれど、夕食が始まったのは5時くらいだったのだろうか。スイスではあまりお目にかかることのないタコ のサラダに始まり、叔父得意の豚の塊り肉グリルに仔牛のすね肉ソース、それに野菜のグリルが添えられた。叔母は以前、チューリヒでカフェを経営していただ けあって、デコレーションも凝っている。テーブルを飾るさりげない花もしゃれた感じ。

大人が7人、子どもが1人。なんだかみんながいっせいにしゃべっている感じで、賑やか賑やか。私が口を挟む隙なんかほとんどない。テーブルの上を会話があ ちこちに交差している。まあ、おいしいお食事をいただいている間は、少し静かだったかな。みんなお酒も好きな方だから、ワインのビンが次々に空けられてい く。お腹いっぱいご馳走を詰め込み、1時間くらいワインだけで話し込んだだろうか。デザートの時間がやってきた。マンゴとアイスクリームがこれまた美しく 盛られてきた。みんなため息。エスプレッソ、アマレット、コニャック…。もうおなかいっぱいだ。でも、このあとも談笑はまだまだ続く。

叔父さんは昔からジョーク好きだったらしい。会うたびにいつも面白いジョークを披露してくれる。その話し方がまたうまいので、みんなにオオウケ。でも、私 一人よくポツネンと笑っていいものやらどうしたものやら。この日、気がついた。外国語のマスターの度合いって、ジョークが理解できるかどうかで判断できる かも。ジョークはたいてい、その国の文化も理解していないとわからない。ことばも文化の一つだ。スイスジャーマンでしか言えないスイスのジョークもある し、ハイジャーマンに直してもらっても、育ってきた環境が違うために私にはあまり面白くないこともある。私はまだまだ勉強不足みたい。

レアンドロがいるから早めに集合して早めに解散するという予定だったが、それでもお開きは10時半。コニャックのあと、もうそろそろかな、とひそかに思っ ていたけれど、なんのなんの。またまたワインの栓が抜かれ、9時過ぎになると叔母が再びキッチンに立ち出した。ふと見ると、種々のチーズを切り分け、ブド ウとナシをお皿に盛っている。これは典型的なデザートだ。これにフランスパンのトーストがつく。私はもうお腹いっぱい。結局なんにも食べなかったけれど、 みんなはおいしそうにチーズや果物をほおばっている。信じられない!日本食育ちと乳製品育ちの差をまざまざと見せつけられた感じだ。ほんとにタフなお 腹!8時間も飲み続け、食べ続けられるんだから。

ときどき雨がぱらぱら。テラスの大きなパラソルの下で

ときどき雨がぱらぱら。テラスの大きなパラソルの下で

改築のお披露目

今日はスイスの建国記念日。貴重な祝日である(スイスの祝日は少ない)。あちこちで記念行事やスピーチが催され、夜には花火が上がる。昨日の夜から、待ち きれない人々がもう花火を上げていた。今朝7時にも、教会の鐘とともにポンポンと長い間何かが破裂する音が続いていた。

午後には夫の妹一家がやってくる。昨日、3週間のイタリア旅行から帰ってきたばかり。お土産話が楽しみだ。

さて、昨日の日曜日はスイス一の動員数を誇る多目的会館 Hallenstadion(ハレンスタディオン)の14ヶ月間にわたる改築工事が済み、一般に初公開された。わずか5フラン(400円くらい)で12時 から4時までいろんな催し物を楽しみ、普段は(高くて)入れないロジェなども見学することができた。ビールかミネラル一本もおまけについている。なんて 太っ腹!

前もってプログラムをインターネットでチェックしようとしたけれど、そういう情報は一切なし。開場時間の11時半ぴったりにハレンスタディオン前につく と、もう大勢の人々がまだ閉まっているドアの前に群がっていた。群集は文字通り老若男女、あらゆる年齢層が揃っている。このハレンスタディオンをホームと するアイスホッケーチームZSCLionsのファンと思しき若者たちから、銀髪の女性たち、家族連れ、もう何十年も連れ添っていそうなご夫婦、一人でやっ てきている中年男性。なんだかびっくりしてしまった。これだけの人々にこのハレンスタディオンは愛されているんだ。

やっぱりZSCファンの夫に引きずられて行った公開日だったけれ ど、思いがけないプレゼントが用意されていた。いや、ゲストの中にちらりと名前を聞いていたけれど、あまり気に留めていなかった。なんと、あのフィギュア スケートで現在世界No.1のステファン・ランビエールが演技を披露してくれたのだ!!あの華麗なスピン、素晴らしいジャンプ、しなやかな肢体、軽やかな ステップ。たった5フランよ!にくいにくい。これだけでもう行った甲斐があったというもの。

最初は、ZSCの登場を待ち望むアイスホッケーファンがZSC用 の声援をわめき散らして何となく彼の演技を妨害気味だったけれど、それもだんだん消えうせて、最後は拍手拍手の嵐。カンドー的だった。あとからのインタ ビューで彼は「アイスホッケーファンとフィギュアファンの両方がいてなんだか少し面白かった」などと余裕の発言。フランス語圏の出身だがドイツ語もうまい し、好感度はバツグン。

初めは1~2時間で帰るつもりだったけれど、結局最後まで残り、4時間をこのハレンスタディオンで過ごしてきた。しつこいようだけど、5フランで4時間!唯一の悔いはカメラを持っていかなかったことでした。