Nalaga’at公演

昨日の夜はイスラエルの盲聾シアター「Nalaga’at(ナラガアット、ヘブライ語で「触ってみて」という意味)」のチューリヒ公演を観てきた。チケッ トはすぐに完売となり、日曜日には急きょ追加公演を行ったという評判の高いシアターである。33歳から54歳までの男女が混じった12人のメンバーは、ほ ぼ全員が盲聾(アッシャー症候群)である。それなのに、通訳の助けを借りて、まるで耳が聞こえ、目が見え、ほかの人の動きがわかっているかのような芝居を してみせた。

私は夫と難聴の友人の3人で出かけた。友人を待っているとき、ろうの知り合いもちらほらと現れ、手を振って「元気?」と挨拶を交わす。一、二度、顔を合わ せたくらいだが、「あ、この人、知ってる」と思うと、気軽に挨拶をしてくれる。私の手話の先生も彼氏(彼はホモセクシャルなのだ)と一緒に来ているはずなんだけど、ホールはもう人の頭でいっぱい。残念ながら、会えなかった。彼氏と知り合いになるのを楽しみにしていたのに。そして、友人も私の先生と知り合え るのを楽しみにしていたのに。人ごみの中、知人・友人を探す私たちを尻目に、夫はちょっと退屈そう。ごめんね。

私たちの席はバルコニーの最後列。チケットの手配が遅かったので。まさか、こんなに人気があるとは思わなかったもの。私たちにはそれでもあまり不都合はなかったが、難聴の彼女は手話通訳の唇が読み切れず、ちょっと残念そうだった。

さて、この芝居「Light is heard in zig zag」ではそれぞれの俳優が自分の夢を演じる。「夢」。誰もがきっともっているにちがいない。私の夢は、翻訳で食べていけるようになること。ほぼ叶えら れそうにない夢だけど、夢だからいいんだもん。彼らの夢は、買い物に行ってラベルの小さな字を読むこと、バスの運転手になること、お金持ちになって飛び切 りの美女を飛び切りのレストランに誘うこと、ある朝目覚めたら目が見えていること、軍隊に入ること、有名な女優になること、などなど。テレビを見る、ラジ オを聴く、新聞を読む、これらもすべて彼らにとっては夢である。いろんな人と知り合って、いろんなことをしゃべる。これもかなり難しい。そう、私たちがふ だん何気なしにやっていることは、彼らにはほとんど一人でできない、あるいはまったく不可能なことばかりなのだ。彼らは「見えて聞こえる」私たちにそんな 世界を垣間見せてくれた。自分たちには聞こえず、見えないのに。一番悔しいのは、そんな姿を世界におよそ1万人いるという同じ障害をもったほかの仲間に見 てもらえないことかもしれない。

舞台にもっと近い席だったら、きっと彼らの表情も楽しめたに違いない。何年という時間をかけて練習を重ねてきた彼らの芝居は、すでにアメリカで大きな成功 を収めている。ヨーロッパではスイスが初舞台だ。舞台監督は20歳のときにイスラエルに移住したスイス生まれの女性。この芝居が彼女の人生を変えたとい う。日本でも、ぜひぜひ公演をしてもらいたい。

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