月: 2005年4月

コンサート、オペラ、断りのメール

最近ずっと楽しいこと、うれしいことが続いていた。

まず、先週の金曜日と今週の月曜日には友人の歌手ジェラルディン・オリヴィエのコンサートがチューリヒであったので、夫と二人で観にいってきた。ゼヒセロイテンという春を迎えるお祭りの一環で、彼女もゲストとして招待されていたのである。お祭り用の大テントに舞台がしつらえられていて、私たちが着いた頃に はもうすでに会場は満杯。それでも舞台近くまで行くと、ジェラルディンを発見!彼女のおかげで特等席に座ることができた。でも、この日のコンサートは残念 ながら雰囲気がイマイチ。集まっていたお客さんはおしゃべりに夢中で、彼女のトークや歌にほとんど耳を貸さなかったのだ。唯一、ペアで踊るダンス向けの曲 のときだけ、「あれあれ」というほど大勢の観客が舞台に上がって、彼女の歌にあわせて楽しそうに踊っていた。でも、アンコールもなし。彼女もがっかりしていたな。

2回目の月曜日、夫も「また行こうぜ」というのでもう一度特等席で鑑賞(彼はおそらくビールが目当て)。今回の観客は金曜日と違い、ノリがいい。彼女はい わゆるシュラーガー(Schlager)という、いってみればドイツ歌謡曲の歌手である。ファンは年配の方が多い。会場では必ず隣の人と腕を組んでスイン グ。歌手との合唱もめずらしくない。ジェラルディンは今年で10周年を祝うだけあって、会場の雰囲気をうまく読む。舞台に人を上げて一緒に歌ったり踊った り。楽しい1時間だった。前回とは大違い!わざわざドイツからやってきた甲斐もあったというものだ。

このコンサートで気がついたことが一つある。意外にもチューリヒ人はダンスが好き!ラテン系に比べるとノリの悪いドイツ語系スイス人だが、踊れそうな曲に なると勝手にみんな舞台に上がりこんで楽しそうに踊り出す。いま、若者の間でサルサが流行っていることも理由の一つかもしれない。

昨日の水曜日は手話のコースがなくなり、友人に誘われてオペラを観にいってきた。4時間座っているのはつらいなあ、なんて思っていたけど、いざ始まったら まあまあおもしろくてけっこうすぐに時間は経っていった。出し物は「ジュリアス・シーザー」。一番安い席だったので、普段着と変わらない服装で出かけた。 舞台は半分くらいしか見えない。たぶん、満席だったと思うのだけど、休憩のあとには空いた席がいくつかできていて、そちらの高い方の席に移ったらずいぶん 舞台が見えるようになり、ますますおもしろみが増す。

でも、頭の中ではときどき、こないだはシュラーガーのコンサートで「ブラボー!」と叫ぶ人を見、今日はオペラでやっぱり「ブラボー!」を聞く。同じブラボーでも、中身はずいぶん違うんだよね、なんて考えながら。

昼間は昼間でいろんな人に会って刺激を与えてもらったり、『わが指のオーケストラ』翻訳出版の相談をしたりして、実りの多い日々だった。

……と思っていたところに、今朝のメール。このマンガの出版社からいまの条件では協力できないとの返事がきていた。が~ん。まさか、ここでつまずくとは思 いもしていなかった。でも数時間経つと、そうとんとん拍子にことが進むなんてこと、やっぱりなかなかない。このプロジェクトは立ち上げたばかり。もっと時 間をかけて計画を練り直そうと思うようになった。世の中、自分の思うようには動かないものなのです。

風邪を引いていながらも楽しそうに歌うジェラルディンとダンスを楽しむ観客

風邪を引いていながらも楽しそうに歌うジェラルディンとダンスを楽しむ観客

懐かしのメロディー

毎週金曜日は掃除の日。まず、拭き掃除から始まって次に掃除機をかけ、フィナーレはバスルーム。だいたい1時間半くらいで終わる。この掃除の時間には日本のCDをかけるのが習慣になっている。いまの歌はもう全然知らないので、やっぱりなつかしのメロディーばかり。

いま、私の中で流行っているのは庄野真代の「The Very Best of MAYO SHONO」と資生堂のCMソングを集めた「音椿~紅盤」。これは、矢沢永吉の「時間よ止まれ」が聞きたかったがために、実家の姉に頼んで送ってもらった ものである。なぜか突然、この曲が聞きたくて仕方がなくなった。インターネットで探したら、このCDが見つかった。

「時間よ止まれ」を聞くと、高校1年生の暑い暑い夏を思い出す。姉と同じ下宿で、彼女が録音したカセットを貸してもらっていつも聞いていた。そして、「時 間よ止まれ」の次には(前だったかもしれないが)山口百恵の「プレイバック・パートII」がくる。私の中では、この2曲はもうすっかりペアになっている。 あの曲も好きだったなあ。百恵ちゃんがかっこよかった。それにしても、「時間よ止まれ」は真夏にぴったりの曲。永ちゃんの曲はこれしか知らないが、大好き な曲の一つである。また聞けて、とってもうれしい。

「音椿~紅盤」にはほかにも懐かしい曲がいっぱい入っている。これは我ながらとてもいい買い物だった(偶然だけど)。後半になってくると知らない曲もあるけど、いやいや、とても楽しい一枚だ。

庄野真代のほうは「Hey Lady 優しくなれるかい」が聞きたかった。これも何かのCMソングだったなあ…。それに、姉が昔から好きだった人。姉の影響というものは恐ろしい…。でもこのベ ストにも、「ああ、そうだ。こんな曲もあった、あった。好きだったなあ」という曲が満載。しあわせ~。次の「CD欲しい発作」が起こるまで、これで十分楽 しめそう。

手話とドイツ語と

手話を習い出してしばらくすると、どうしても手話通訳の教育を受けたくなった。もっともっと手話が上手になりたかったし、聴覚障害者の背景も勉強できると 思ったからだ。でも、4年間続くこの教育は3年だか4年だかに一度始まるだけ。次のコース開始は2006年の秋である。無事教育を終えたら、私はもう45 歳を過ぎている。

とにかく、2年半かけて条件の一つである手話コースをすべて終えた。あとは会話コースに通って入試までほそぼそと手話を続けることができるが、これはやめ ることにした。毎週毎週、水曜日と木曜日の夜、留守にするのに少し疲れたこともある。夕食の準備を前もってやっていくのって、けっこう時間の制限を受ける のだ。毎日すごく忙しくしている人なら、こんなこと、なんてことないのだろうが、もう老人ホームにでもいるような生活に慣れてしまった私はちょっとうんざ り。とりあえずは、今年の11月まで続くドイツ語のコースと5月から始まるコミュニケーション・アシスタントのコースだけにしておくつもり。

-と決心したところに、突然舞い込んだ情報があった。4月の後半から今年いっぱいまで、手話通訳を目指す人を対象に特別手話コースが始まるというのだ。でも、それはドイツ語コースがある木曜の夜。ええ~っ。いじわる~。

ほんのちょっとの間、悩んだ。でも、やっぱりいまはドイツ語を再勉強する時期なのだと思う。手話の方は、自分でもやろうと思えばまだできる。通訳というか らには、きちんとしたドイツ語が話せなければ、それこそお話にならない。ドイツ語と日本語の通訳なら、まだ「外国人のドイツ語」で許してもらえるかもしれ ないけれど、聴覚障害者と健聴者の間に立ったら、そんな悠長なことは言ってられないのだから。

どちらにしても、手話通訳コースの入試にはドイツ語の試験もあるし、前回の入試には定員30人のところになんと300人もの応募があったそうだ。思わず 「ひえ~っ」と叫んでしまった。まさか、そんなに希望者が多いとは…。それじゃあ、私なんかダメだろうな、と最近はちょっとひるんでいる。スイスドイツ語 ができなきゃダメ、という条件も、はっきりとは書かれていないけれどあるようだし。

そんなこんなで3年間、いろいろと考えているうちに、いまではとりあえず入試だけは受けてみて、ダメならダメであきらめよう、という気持ちになっている。 人生、やっぱりなるようにしかならないんだ。こんな風に考えられるようになったのは、「もしかしたら、私の課題は手話通訳になることじゃなくて、日本とス イスの聴覚障害者の橋渡しをすることかもしれない」と思い始めたから。大好きな翻訳と関心のあるろうの世界の組み合わせ。

実は、この手話コースを始める前にちょっとした不思議な出来事があった。手話は最近人気が出ていて、申込者全員が受けられないこともあると聞いていた。通 知は全然来ない。やっぱりダメなのかなあ。それじゃあ、もう一つの楽しみ、日本の大学の通信講座で日本の古典をもう一度勉強しなおそうっと。これもずっと やりたかったことだ。でも、楽しみなはずなのに、なぜか心は重い。手話のコースに通えないということで、何か良心がズキズキと痛むのだ。コースに行けない のは私のせいじゃない、私にはどうしようもないのに、行けないことがひどく悪いことのように思えてしょうがなかったのである。どうしてか、いまだにわから ない。でも、ひょっとしたら、大げさに言ってみれば、私はこういう方向に進む運命に定まっていたのではないかという気がする。だから、その運命に逆らうか もしれないと考えた精神が動揺したのかもしれない。そのあとにも、運命的といっていい出会いや流れがいくつかあった。今は、この流れに身を任せようと思 う。

いまの目標は、山本おさむ氏の漫画『わが指のオーケストラ』を独訳して出版すること。数週間前から行動を起こし始めたが、想像していた通り、なかなかむず かしい。でも今日、一つポジティヴな返事をもらった。まだまだ実現にはほど遠いが、とりあえず具体的な相談をできる人が見つかったのである。このことがう れしくて、ついこんな長々としたエッセイを書いてしまった。

バスルーム一新

先週末、夫が浴室の壁をスカイブルーに塗り替えてくれた。 天井にカビが生えてきたこともあり、ずっと何とかしたいと思っていたところにペンキの広告を見つけ、「これだ!」いまのペンキは4時間経てばすっかり乾く し、その広告を出していたセンターへ行くと覆い用のテープつきビニールから容器まで必要なものは何でも揃っているらしく、夫は用具をひと揃えまるまる買っ てきた。

塗り替えるのは天井とその下20センチくらいの四方の壁をぐるり。壁の下に張られているタイルをテープつきビニールで覆い、洗面台やバスタブも大きなビ ニールで覆う。タイルの床には新聞を広げる。そしていよいよ刷毛をペンキの中へちゃぽん。広い面は大小のローラーでがんがん塗っていく。思ったよりはかど る。

…とはいっても、これは全部、夫が一人でやってくれた。私にはときどき「ちょっと~」とお呼びがかかる程度。下手に手伝うとケンカになりかねないので、好 きにやらせておくのが一番。2、3時間後にもう一度上塗りをして、はい出来上がり。しろうととは思えないくらいのデキだ。が、本人は「あ、ここがまだ白 い、あ、ここも」と気になる箇所が次から次へ出てくるよう。

色はちょっと濃すぎて、正直、100パーセント満足というわけにはいかなかった。もっと淡いブルーがよかったんだけどなあ。でも、なんだか海の中にいるみたい。これはこれでよしとしよう。でも彼は、また塗らなくっちゃ、とやる気マンマン。お任せします、ハイ。

お疲れさまでした

お疲れさまでした

雨の日の歩き

今朝は雨。9時から始まる太極拳へ久しぶりに徒歩で出かけた。自転車だと10分くらいだが、徒歩だと30分近くかかる。よっぽど天気が悪かったり寒かったりする以外はいつも自転車。時間を節約したいからだけど、本当なら歩くスピードが一番好きである。

この時期は天気が不安定で雨も多い。そうすると、歩道にはびょ~んと長いミミズがちらばる。植え込みの近くには日本の4分の1くらいしかない小さなカタツムリも出てくる。これらの小さな生命を踏み潰さないように、気をつけて歩を進める。

潅木にも小さな緑が点々と明かりを灯し始め、桜の木の前では甘い香りがほのかに漂う。大好きな小川のほとりの砂利道を歩く。傾斜にはすずらんのような可憐な花と韮を太く短くしたようなBärlauchという野生の食材が茂っている。でも、あんまりきょろきょろしていると、うっかりミミズを踏んでしまいそう。気をつけなくっちゃ。

歩きながらだといろんなものが観察できる。そしてまた、いろんな思いが飛来する。こういう時間をもっと大切にしたいが、ついつい自転車でささっと移動してしまう。机に向かう時間を少しでも多くしたいがために。時間というのは、どうしてこうも早く過ぎたがるのか。

以前は、ずいぶん暖かくならないと自転車を使うことはなかった。今では冬でもへっちゃら。

3月のぽかぽか陽気の昼、歩道を歩いていると頭上から「ポキポキ」という音が降ってくる。最初は何かわからなかった。どうやら、まつぼっくりが開く音のよ う。3~4年前まで聞いたことがなかった。初めてそうとわかったときは感動した。自転車だとこの音も聞こえないのよね。