月: 2005年2月

モグリとシュール

またまたモグリの話題で申し訳ないが、愛息子のことはいくらでも話したいのでご勘弁を。

彼には兄貴というか親父というか、そういう存在の猫がいる。隣の一家が飼っているシュールだ。シュールは私たちが引っ越してくる前からこのアパートに出入 りしていた。モグリを飼う前は、私たちもシュールをかわいがっていた―というと、いまはかわいがっていないように聞こえるが、事実、前よりはかわいさが 減っている。シュールはちょっと特別な猫で、のどやお腹をさすると怒って引っかく。だから、あんまり一緒に遊べない。それに、モグリ専用のドアからは シュールも勝手に出入りするので、モグリのえさもパクパクと食べられてしまう。だから、えさ目当てにやってくるときにはこっちもシュールを追い出してしま うのである。

というふうに、シュールと私たちは時々敵対しているのだか、シュールはモグリに対して「こいつは俺が守ってやらにゃ」という意識をもっているようである。 モグリはちょっと気が弱い。どちらかというと対立を避けるタイプ。どうやら両親からの遺伝らしい。7歳くらい年上でモグリの倍くらい大きいシュールは、人 間や犬に対しておどおどしているところがある反面、ほかの猫とは勇ましく戦う。うちも自分の縄張りだと思っているところがあるから、ほかの猫が様子を伺いに来ると、モグリではなくてシュールがやっつけにいく。モグリは隅っこで小さくなって「ありがと、ありがと」と眺めているだけだ。

一度、それでもモグリが誰かからケンカを売られて、腰の辺りに傷を負って帰ってきたことがある。化膿がひどくなったので、獣医さんのところへ連れて行って 手術をしてもらった。麻酔が切れたころに迎えに行ったが、まだフラフラしている。やたらと外へ出たがるので、これはおトイレかもと思い、夫の付き添いで出 て行った。フラフラしているから、用が済んだらすぐに戻ってこなきゃいけないんだけど、未練がましそうにしている。見かねた夫がモグリを抱き上げ、無理や り連れ戻そうとすると「フギャー、ンニャー」と悲鳴を上げて抵抗する。このとき、シュールがたまたまそばにいた。モグリの哀れな声を聞いたシュールは、なんと、ぴょ~んと高く跳ね上がって「ギャオー」と夫に飛びかかるではないか。「俺の弟分にいったいなにしやがるんだ!いやがってんじゃねーか」って感じ だ。私たちはびっくりするやら、うれしいやら。「そんなにまでモグリのことを愛してくれてありがとう」それからしばらくは、私たちもシュールにやさしかったなあ。

バルコニーの植え込みで仲良く日光浴。左がシュール

バルコニーの植え込みで仲良く日光浴。左がシュール

行きつけは5つ星ホテルの美容院

「touch the sound」 は超おススメ!パーカッショニストのEvelynが奏でる音と幻想的な映像あるいは超現実的な映像が織り成すこの映画は、それ自体が一つの芸術作品といっていいほど。難聴でほとんど音を聞き取れなかった友人は映像のすばらしさにより魅かれていたが、私にはどちらも甲乙つけがたいほど印象的だった。日本の富 士市などでも撮影が行われていて、その様子もなかなか興味深い。大和太鼓との競演のシーン、映画館で唯一の日本人だった私は(50人も入れないくらいの小 さな映画館)思わず胸を張りたくなった。やっぱり、かっこいい。日本には世界に誇れる伝統芸術がたくさんある。細々とでもいいから、いつまでも受け継がれていって欲しい。

さて、今朝は美容院へ行ってきた。私の行きつけの美容院は、なんと5つ星ホテルの中にある。なんていうと、すっごくおしゃれな人間だと思われてしまうかも しれないが、なんのことはない、「私の」美容師さんに犬みたいについていったらここに行き着いたのである。彼女は、私がスイスで最初に暮らしたアパートの 隣人さん。年はけっこう離れているのだが、夫婦して仲良くしてくれている。頼れるお姉さんといったところか。

5つ星美容院はやっぱり高い。だから私は髪の毛がぼうぼうになって、もうこれ以上は我慢できない、という頃になってようやく出向く。でも高級美容院だから、出かける前にブローしたりして一応なんとか形をつけていく。美容院へ行くのになんだかヘン、と思いながら。

お客さんの中にはボディーガードつきのお方やチップを100フラン(8500円くらい)もくれる人もいるという。たまには世界的な有名人も来るらしい。残念ながら、私はまだそういうかたがたにお目にかかったことがない。

席に着くと、まず見習いの若くてかわいい女の子がシャンプーをしてくれる。日本みたいに「かゆいところはござませんか」とは聞いてくれないが、ここの見習 いの人はみんなシャンプーマッサージがうまい。今日も朝からいい気分に浸らせてもらった。極楽極楽。全身マッサージをしてもらってのどをゴロゴロいわせているモグリの気分である。それからお飲み物のサービス。この辺はやっぱり5つ星かな。あとは大雑把な注文だけして、もう長い付き合いのバーバラにおまかせ。だいたいいつも満足して帰ってくる。ああ、やっと人前に出られるような頭になった。

Coiffeur

音のない世界

音のない世界ってどんななんだろう。ろうの人々と知り合ってもう2~3年が経つというのに、私にはまだ想像ができない。手話の練習をしていて、両手をぴしゃりと合わせたときにふとそう思った。

私たち健聴者は、たとえば勢いをつけて右手と左手を合わせれば「パン」と音がすることを知っている。それで両手がぶつかったことを感覚的にも知る。でも、ろうの人にはそれが聞こえない。両手の触感と目で見るだけだ。

ろう者と話をしていても、彼らは口読できるので、ゆっくり、そしてはっきりと標準ドイツ語を話せば、会話にはほとんど支障がない。私が知っているろうの人 の中には、驚くほど標準ドイツ語がうまい人もいる。だから、一緒にいても彼らの聴力障害を意識することはあまりない。

ろうは見えない障害だ。手話で会話しながら歩いてでもいない限り、その人がろうであるかどうかなんて見た目には絶対にわからない。

話は変わるが、スイスのスーパーでは、レジに立つとキャッシャーのお姉さんが必ずまず「こんにちは」と声をかけてくれる。お金を支払うと「ありがとうござ いました。よい一日を」などと言ってくれる。だから、お客さんの方も「こんにちは」とか「ありがとうございました」と挨拶をする。でも、中には一言も発し ない人もいる。以前はそんな人を見かけると「なんだ、こいつ。無礼な奴だ」なんてすぐ思ってしまったが、手話を勉強し出してからは、世の中にはどんな目に 見えない障害をもっている人がいるかわからないということに気がつき、一言も発しない人に対しても別に腹を立てることはなくなった。

手話は楽しい。もっと手話で会話ができるようになりたい。でも、ほかの言語と同じで、使うことがないとあまり上達しない。知り合いのろうの人たちはみんな 忙しくて、私なんかにあまりかまってくれない。だけど、明日は久しぶりに難聴の友人と映画を見に行く約束をした。80パーセント聴力を失っている女性ドラ マーの映画、「touch the sound」だ。ずっと見たくて、でもなかなかチャンスがなかったから、彼女が誘ってくれてうれしい。口と手を使ったおしゃべりも楽しんでこようっと。

モグリの椅子

我が家には事務椅子が三台ある。 夫の事務机の前に一台、私の事務机の前に一台、そして私の机の右横にもう一台。これは、モグリ専用の椅子である。彼はこの椅子の上で大きくなった。小さい頃は、翻訳をしている私のひざの上でよく眠っていた。大きくなって、私のひざに納まらなくなってからはもうほとんど上ってこない。ちょっと、いや、だいぶ ん寂しい…。

ずっと使っていた椅子は背中にもあんまりよくないと、今年になって夫が新しい事務椅子を買ってくれた。古いのは処分しようというのだが、夕方から朝まで、 夜遊びも交えながらこの椅子の上でずっと眠っているモグリからそれを取り上げてしまうのはつらい。それに、夕方になると必ず、「彼の」椅子に座っている私 をうらやましそうに見上げるので、私はついついその椅子をモグリに譲り、自分は食卓から椅子を運んできてそれに座ることが多かった。それだったら、古い椅 子はもうすっかりモグリに譲ってしまおう。そうすれば、それぞれみんながちゃんと事務椅子に座れる。こうしていまでは、夕方になるとみんながそれぞれ満足 げに自分の椅子に座って何かしらやっている。正しい判断だった、うん。

ちなみにモグリは、昼間は私たちのベッドの上で、午後は事務椅子の上で、そして夕方の散歩の後は私たちが迎えに行くまで数時間アパートの踊り場でそれぞれ過ごす。廊下に出してある隣の娘のベビーカーの中で眠るのも大好きだ(ごめんね、勝手にお邪魔して)。最近は冷え込む天気のせいか、先週受けさせた予防接 種のせいか、食欲がなくて寝てばかり。それでも週末は一緒に散歩に行って元気に跳ね回っていたから、大病を病んでいるわけではないと思うけれど、やっぱり ちょっと心配。出歩いてばかりだと欲求不満、寝てばかりだと心配、どっちにしても人間さまは満足しないのだろうけど。

こんな頃もあったのよね……

こんな頃もあったのよね……